第十二花 十五夜草
その日の夜。
「……本当に、どこに行ったのかなぁ」
巡察中に何気なしに口にしてしまった悠日の名前。
口にすれば思い出すし、土方達に聞かれれば反感を買うことは目に見えている。
だから口をつぐんでいたのに、今日はなぜ口をついてしまったのか。
「……あの子が、口約束とはいっても、約束破るなんてことなかったのに」
もともと約束事には厳しい子だった。一族にとって約束を守ることはとても大切なことなのだと言っていたし、事実破ろうとすることはなかった。
――十年近く前の花結びの約束はまだ果たされていないので、それを断言できるかと言われると言葉に詰まるのも事実だが。
「悠日ちゃん、今頃どこで何してるのかなぁ」
ポツリと呟いた言葉に疑いの色はない。心の底からの疑問と、あの日覚えた胸騒ぎが疑いを薄めさせる。
あの時手元にやって来た水晶玉は、常に手元に持っている。あれ以来光ることもないし飛ぶこともなく、何度手にしても水晶の冷たい感触が手に残るだけだ。
まるで拒絶されているかのように思えて、そのたびに寂しさがよぎる。
小さく息をついたとき、ふと悠日たちの部屋の方から悲鳴が聞こえた。今そこにいるのは千鶴だけだ。大きな物音も聞こえ、何か大事があったのかと腰を上げると、不意に咳がこみ上げる。
いつもの、発作だ。
「……っごほごほっ!」
咳の感覚が狭まっている。悠日がいたころよりもずっと悪化していると、そう言うことなのだろう。血痰が交じることも少なくなく、咳き込むせいで体力も奪われていく。思うようにならない自分の体がもどかしい。
昼間も随分と咳き込んで千鶴に心配をかけてしまった。あんな表情をさせたとあっては悠日ににらまれそうだ。彼女にとって千鶴は何にも代えがたい友人だったはずだから。
しばらく咳き込んで、ようやくそれが落ち着いてきたとき、不意に外に感じ慣れた気配を覚えて部屋を出た。
先ほどの悲鳴も気になるが、土方達が向かった気配がある。急いでいかずとも大丈夫なように思えたし、何より先ほど感じた気配の方が気になった。
だが、姿かたちは見えず、沖田は不愉快そうに眉を寄せた。
気のせいだっただろうか。
「牡丹ちゃんの気配だと思ったんだけどな」
悠日のことを考えていたために出てきた思い込みだろうか。
牡丹は基本、悠日の傍近くに控えている。牡丹の気配があるということは、近くに、もしくは牡丹の帰る場所に悠日がいるということになる。今からでもその気配があった場所からたどっていけば……。
そんなことを考えて、沖田は大きくため息をついた。
「僕も、未練がましいな……」
何も言わずに出て行ってしまった悠日。せめて何かしら自分にだけでも言ってから出ていってくれればよかったのに。そう思うのは我がままかもしれないが、それでもそれは沖田の本心だった。
頼る時は頼ればいい。昼間千鶴に向けて告げたその言葉は、昔から抱え込みやすい質の悠日にこそ向けたい言葉だ。――告げたとして、彼女がそれに応じるかと言われれば否と言われそうな気がしていても。
もやもやとした気持ちは悠日が出て行ってからこっち消えてくれない。あの時覚えた胸騒ぎとて同じこと。
心当たりがありそうな場所を探しても見当たらない。土方達に探す気がないから非番の日こっそりと探したのだが、手がかり一つ見つからなかった。
沖田は悠日を信じているものの、それでも敵か味方かという疑惑や悠日の安否への不安を抱えたまま生活しているのは正直気持ちのいいものではない。
大きく息をつき、沖田は考えていても仕方ないと、身をひるがえして騒ぎの元である場所――千鶴の部屋へ向かうことにした。
そんな沖田の視界から隠れるように動く影が、庭の木々のはざまにいた。
眉を寄せるその表情は、忌々しげにも困惑しているようにも見える複雑なもので、小さく息をつくと、その影は俊敏に屯所の周りを歩き始める。
屯所の周りに、大きく四角を描くように存在する四隅のそれを手に取る。
まるで紗のように屯所周りを覆っていた何かが、それで完全に霧散した。
その手にあるのは四つの石。瑠璃のような青い色をしたその石を握りしめると、その影はふっと姿を消した。