第十二花 十五夜草

 全力で走って何とか追いついた薫に、千鶴は息を切らせながら声をかけた。

 それに反応して振り返った薫は、少し驚いた表情をしながら立ち止まる。


「あの、薫さん。私のこと、覚えてますか……?」

「ええ、新選組の方と一緒にいた方ですよね。覚えていますけど……急に追いかけてくるものですから、びっくりしたじゃないですか」

「ご、ごめんなさい……。ちょっと、薫さんに聞きたいことがあったので……」


 そう告げると、薫は少し怪訝そうな顔を向けた。あまり面識のない人間にそんなことを言われたら、人間だれしも怪訝に思うだろう。それが分かっているから千鶴は申し訳なくなりつつも、半年近く抱えていた疑問を薫にぶつける。


「前に新選組の人が、三条大橋の近くで私とよく似た人を見かけたらしいんです。それってもしかして……薫さん?」

「さあ……? もし仮にそれが私だとしても、三条大橋は普通に通るところですよ。何か問題でも?」


 目を細めて微笑む薫の言葉に、千鶴は思わず詰まった。事実そうなのだ。三条大橋は薫だけでなく、普通の人が普通に通る橋。先ほどの質問では当たり前のことを聞いているに過ぎないことになる。

 そんな千鶴の思いを知ってか知らずか、薫は少し悪戯めいた光を目に宿しながら微笑んだ。


「もしかして、あなたが聞きたいのは、私が夜に行ったことがあるか、ということかしら?」

「え……」


 その言葉はどこか冗談半分で言っているようにも聞こえなくもないが、薫の表情はただ微笑んでいるだけでその真意は分からない。
 困惑した表情で、それがもし本当なら、と考えていた時、背後から刺々しい言葉が向けられる。


「もしそうだとしたら大問題だね。君には死んでもらうことになるけど」


 少々殺気めいた雰囲気を醸しながらも、いつものようにまるで冗談を言うような口調で沖田がそう口にした。
 追いかけてきていたことを知らなかった千鶴は、そんな沖田を見て少し驚いた表情をする。
 薫はあまり驚いた風もなく、そんな沖田に軽く頭を下げ、先ほど千鶴と話していたのと変わらない口調で彼へ話しかけた。


「あら、新選組の沖田さんじゃありませんか。いつぞやはありがとうございました」

「で、答えはどっちなの? 行ったことあるの? ないの?」


 薫の言葉はすげなく無視し、先ほど千鶴と話していたことの続きの問いを、千鶴が初めて会ったころの殺気を押し隠したような笑顔を薫へ向ける。あると答えた場合にすぐ動けるようにか、その所作に隙がないのは千鶴にもわかった。


「死んでもらうなんて、そんな怖いこと言わないでくださいな。第一、三条大橋は昼間であれば誰しも通る場所ですよ。ましてや夜なんて、怖くて近付けやしません。あの制札騒ぎの頃なんて特に」


 沖田の様子に気づいていないのか、それとも気づいていてもなんとも思っていないのか、薫は落ち着いた様子でそう答えた。


「それなのに顔が似ている、というだけで疑うだなんて、ひどいじゃないですか」


 顔を伏せながら向けられたほんの少し軽蔑も含まれたようなその言葉を受けて、焦ったのは千鶴だ。普通の女の子がそんなことするはずがないし、する理由もないはずだ。第一、新選組の邪魔なんてまねはそうそうできようはずもない。


「あ、違うならいいんです! 薫さんなわけ、ないですよね……」

「なんでそう思うの? この子が女の子だから? それとも自分と似てるから?」

「え……そういうわけじゃ……ないんですけど……」


 沖田の鋭い眼光とともに向けられた言葉を受けて、千鶴は本心をつかれて目を泳がせる。言葉では否定したものの、女の子がそんなことをするはずがないと、そう思ったのは事実なのだから。

 結果論として薫をかばうことになってしまったことに、ほんの少しの後悔が首をもたげる。

 二人がそんなことを話していると、薫があの、と声をかけてきた。


「もうお話はよろしいですか? それでは失礼します」


 そのまま、まるで逃げるかのようにそそくさとその場を去る薫。その背を追おうか迷っていると、不意に咳の音が聞こえて千鶴は振り返った。

 咳き込んでいたのは沖田だ。しゃがみこんで口元を抑え、激しく咳き込む沖田に思わず駆け寄る。


「沖田さん、大丈夫ですか!?」

「っ……来るな!」


 鋭い拒絶の言葉に、千鶴は思わず足を止める。
 なおも近寄ろうと思ったが、沖田の拒絶は言葉だけのものではなく、気迫に似た何かに気圧されてそのまま立ちすくむしかなかった。

 どれほど経った頃か、ようやく咳が止まり、千鶴もそっと沖田に駆け寄る。


 脂汗を掻いたその表情は少し苦し気で、その背を撫でようかと思ったものの、また拒絶されるのが目に見えていて千鶴はあきらめた。

 こんな時、悠日がいたらどうしていたんだろうか。そんなことを考えたが、今いない彼女のことを考えてもどうしようもないことは分かっているので、沖田にそっと話しかける。


「あの、本当に大丈夫ですか……?」

「なにが……?」


 先ほどの表情はどこへ、沖田はいつものように楽しげな笑みを千鶴に向けた。顔色が悪いのは事実なのだが、それでも無理をしているようにも見えなくて、千鶴は困惑の表情を見せる。


「君のせいでここまで走らされたから、それで疲れただけだよ。落ち着いたし、もう本当に大丈夫だから。――それよりもね、千鶴ちゃん」


 先ほどの笑みはどこへ、目じりの上がった厳しい表情を向けられて、千鶴は思わず姿勢を正す。


「彼女……薫さんのことなんだけど。制札事件の時のことが気になってた気持ちは分からなくもないよ。彼女のことは何も知らないんだし」

「はい……」

「それならなおさら、一人で動くのは得策じゃない。もし彼女の後を追って、その先で敵が出てきたら、君一人で対処できた? もし彼女が姿を見せたのは何かの罠で、わざとここに連れ込むためだったとしたら? ――ここは、それにはもってこいの襲撃場所だよ」


 何かあってからでは遅い。今回はそうでなかったにしても、もしそうだったと考えたとき、背筋が凍えた。千鶴のその表情はようやく事態を理解した、というもので、沖田はため息をついた。


「一緒にいる以上、行動には注意してくれないと。……自分は役立たずの子供なんだってこと、自覚しなよ」

「……すみません」


 先走って行動してしまった自分の非を理解し、千鶴は悄然と肩を落とす。
 助けられてばかりではいたくないからこそ動いた結果だったのだが、逆に迷惑をかけていては元も子もない。
 すみません、ともう一度言いそうになったとき、沖田から再びため息が聞こえた。


「もういいよ。お説教は終わり」

「え……」


 顔をあげると、沖田は呆れた表情を浮かべていた。


「妙な遠慮はやめなよ。頼るべき時は頼ればいいんだから」


 その言葉は千鶴に向けられているように見えたが、ここにいない誰かに向けられたような言葉にも思えて、千鶴ははっとした。

 いない今だから気づく、悠日の行動。真意を見せず一人で動いていた悠日のそれもまた沖田の言うような通りだったのだろう。今どこで何をしているのか。――本当に、敵になってしまったのか。そんな思いが頭をめぐる。


「もう新選組に来て五年近くになるんだし、迷惑かけるとかどうとか今更でしょ」

「う……返す言葉もありません……」

「……悠日ちゃんもさ……もうちょっとちゃんと、いろいろ話してくれればよかったんだけどな」


 屯所では決して口にしない、悠日の話題。それを口にしたのは、今ここにいるのが、悠日が離反したと未だ考えたくない千鶴だけだからだ。沖田も悠日が敵に回ったと考えてはいないのだろう。ポツリとつぶやかれた言葉は少し寂しそうな響きを含んでいる。

 彼女がかける迷惑こそ、沖田からすれば迷惑でもなんでもなかったのだろうに。そんなことを考えながら、千鶴たちは先ほど別れた巡察中の隊士たちと合流すべく通りへと戻っていった。


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