第十二花 十五夜草

 三月に入り、そこかしこで桜が咲き始めている。

 あれから、悠日は戻ってくることはなかった。
 数日たてばまた戻ると言っていたのに、だ。

 今頃悠日はどうしているのか。そんなことを考えて千鶴はため息をついた。

 悠日が出て行ってからしばらくたって、時の帝が崩御した。それからもう丸三月。帰ってくる気配は一向にない。
 以前八瀬に行っていたときのように手紙が来るわけでもなく、牡丹が訪れることもない。
 早々に敵と認識した新選組の面々は、もし悠日が帰ってくることがあれば、容赦なく話を聞き出すつもりだったらしいが、帰ってこないのでそれもできないでいる。


 それを見越していたこともあったのか、悠日が出て行った次の日の朝、千鶴は土方に呼び出された。
 ことの顛末を聞いて出てきたのは、なぜという疑問だ。


『どうして、悠日ちゃんが……』

『俺たちにも詳しいことは分からねぇが、風間と顔見知りだったからな。あっち側の人間だって可能性も高い。……千鶴、お前は何も知らねぇのか?』

『知りません。……知っていたら何ができたかとか、そういうことは何も言えないですけど……』


 江戸で会った時ですらそんな兆候は見られなかったし、そもそも外部と接触する様子もなかった。
 だが、忽然と姿を消した悠日の様子から、土方達は陰で話をすることくらい容易だと判断したらしい。


「……そんなこと、ないと思うのにな……」


 四年以上同じ屋根の下で過ごしていたのだ。悠日がそんな人物ではないと、それくらい分かるとは思うのに、一瞬でも疑心暗鬼にかられそうになった自分を叩きそうになる。
 悠日の演技がそれだけ素晴らしかったのか、それとも何か事情があって戻って来られないのか。

 前者であれば間者だったということになるし、後者であればそうでないとも考えられるのだが……。


「ぼーっとしてると危ないよ」


 考え事をしながら歩いていたためか、隣を歩いていた御仁から注意を受ける。
 はっとして彼を振り返れば、苦笑が返ってくる。


「まあ、散歩だと思ってゆっくり歩けばいいけど、人はいるんだし、ぶつかったらいろいろ大変だよ?」


 散歩、というが、実は今巡察中だ。後ろを何人かの隊士の人たちもついてきており、先頭を行く自分達がそんな気持ちでいていいのかと思ってしまったりする千鶴である。
 事実、新選組が歩いて行くと、人々は――特に自身の力を誇示しようとでもしているのか肩で風を切って歩く浪士たちが、こちらの様子を見るや否やそそくさと隠れるのだ。
 新選組の名がそれほど恐れられているということがうかがえる。


「怪しいですね……」

「いちいちあんなの気にしてたらしょうがないよ。まだああやって隠れる輩は、可愛いうちでしょ。本当に長州辺りの間者だったら堂々と歩いてるはずだから」

「そう、なんですか……」

「後ろめたい何かはあるんだろうけど、僕らに目を付けられるほどのことはしてないんじゃないかなぁ。それにこの羽織は目立つし、今じゃあ有名だからね。それでだと思うけど」


 目立っていろいろ面倒になることが多くなってるけど。

 そんなことを呟く沖田の表情は、悠日がいたころに比べるとどこか影が差している。

 あれから様子がおかしいのはこの御仁――沖田も同じだ。

 話を聞かされた千鶴と一緒に話を聞いていた沖田は、土方にもうあいつを信用するなとくぎを刺されていた。
 悠日と沖田の関係を直接聞かされたわけではない。それでも二人を見ていればなんとなく分かる。相思相愛な様子は見えるのに、悠日がどこか遠慮がちだったことも。
 だからこそ、悠日が新選組を裏切ることなど考えられないのも事実なのだ。


「まあ、隊内でも必要性が賛否両論上がってるけどね」


 何の話かと思って首を傾げかけた千鶴だが、先ほど話していた羽織の話と気づいて、少し遅れてそうですねと返した。


「伊東さんに至っては、おしゃれじゃないとか何とかで反対してらっしゃいますけど……」


 そこまで口にして、その人物が先日まで同志を募りに畿内へ行っていたはずだということを思い出して、千鶴は傍らの沖田を見上げた。


「そういえば、伊東さんって京に帰ってきてらっしゃるんですか?」

「そうみたいだね。あの人とあまり顔合わせないし合わせたくもないから、気にしてなかったけど」


 そこは気にしましょうよ、と心の中で呟く千鶴を傍目に、沖田は続けた。


「帰ってこなくても一向に構わなかったんだけど。同志を募りに行ったとは言ってたけど、あの人のことだし、どこまで行ってきたのかなぁって思っちゃうようね」


 その言葉の端々に見える棘を感じながら、千鶴は首を傾げた。


「畿内より遠くに行ったんだとしたら、伊東さんは新選組思いな人ですね」

「……ふぅん、君は、そう思うんだ」

「違うんですか?」

「違わないけどね……」


 苦笑しながら、沖田は千鶴とは少々違う思いを抱いているようで、千鶴のその言葉に何とも微妙な返しをしてくる。
 彼は彼なりに思うところがあるのだろうと千鶴が考えていると、沖田はふと歩みを止めた。


「近藤さんは優しいからなぁ……。伊東さんなんか、さっさと斬っちゃえばいいのに」

「え……あの、同志を斬るとか、冗談でも笑えないですよ、沖田さん!」

「同志、ねぇ……」


 千鶴からすれば心からそう思っての言葉だったのだが、沖田はどうも違うらしいことをその言葉に首を傾げる。

 もともと何か思惑があって新選組に参加した人だろうことは分かっているものの、それでもこれまで相反する様子もないし、同志は同志のはずだ。

 ただ、それが千鶴に向けられた言葉ではなく、伊東自身へ向けられた言葉だということもなんとなく分かった。
 最初から沖田たちは伊東へ良い感情を持ってはいない。土方と激しいものではないものの衝突することはこれまでもあったし、沖田もどこか気に入らない風情だったからだ。

 とはいえ、それをこんな往来で話すなど……。後ろの隊士たちは口止めしておけば話は聞いてくれるだろうが、問題は彼ら以外の人たちだ。
 誰かに聞かれてやしないかと、そんなことを思って辺りを見回した千鶴の視界に、見知った顔が入って思わず声をあげた。


「薫さん……?」


 見間違いかと思って今一度そちらへ視線を向けるが、やはりその人だった。普通の人ならば見逃がしそうだが、自身と似通った面差しの彼女を見紛うはずもなく、人ごみに消えていくその姿を追いかけようと駆け出しかけた。


「薫さん!」

「ちょっと!」


 雑踏の中へ消えてしまった淡い桃色の着物を追おうとする千鶴の手を、沖田は引き止めた。
 だが、千鶴はほんの少しの葛藤の末、そこまで強くかけられていない沖田の制止を振り切って駆け出した。


「すみません、沖田さん! どうしても確かめたいことがあるんです!」


 そのまま遠のく千鶴の背を見て、沖田は大きくため息をついた。


「勝手な行動は慎んでほしいって、いつも言ってると思うんだけどな……。君たちは巡察続けてて。僕はちょっと別件片づけてくるから」


 後ろをついてきている隊士たちにそう告げると、沖田もまた人ごみの中へ消えた千鶴を追うように駆け出した。


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