第十一花 野春菊

 黒や紺の衣に、衣と同色の頭巾。闇に紛れる装用をした人々の囲いに、悠日は眉を寄せた。
 それにはある種の懐かしさを覚えるが、会いたい相手ではなかった。

 十年近く前のあの日、里のあちこちに感じた気配と同じもの。――鬼ではない、人の悪意。
 無言で囲む人の数は六。多いわけではないが、多勢に無勢なのに変わりはない。


「帝の護衛に集まった者たち、というわけではなさそうね。……誰の差金?」


 悠日が静かにそう尋ねるが、返答はない。代わりに向けられたのは、月影にきらめく刃だった。
 それを見て、牡丹が悠日の背を守るように互いに背中合わせになる。悠日が構える薙刀の鈴が、場にそぐわぬ涼やかな音を立てる。


「……姫」

「大丈夫よ」


 静かにそう答えて足を前に出し中段の構えを取る。見据えるようにした静かな瞳がすっと細められた。
 相手の構えには隙がある。突破するのは難しくはないはず。
 そう考えて目の前の面々を強行突破と行くつもりで踏み込んだ。


 ――はずだった。


 不意に目の前が揺らぐ。自力で立っていられなくなり、悠日は眉を寄せながら薙刀で何とか自分の体を支えた。地についた柄の鈴が鈍い音をたてる。


「姫!?」


 そんな悠日に驚いた様子で牡丹が振り返るが、悠日に少し遅れるように牡丹も目の前の景色が歪んだのを認めて膝をつく。

 そんな二人を見て、彼女たちを囲んでいた影が構えていた刃を下げた。


「……一体……何、が……」

「少しばかり効き目が遅いようだが、まあ上々だろう」

「宇治の一族だ。耐性は他の鬼より強いのだろうよ」


 ようやく口を開いた男たちから、何のことか分からない会話が繰り広げられる。
 話の内容から、何か盛られたらしい。だが、いつだ。

 ここへ来てから何かを口にしたわけではない。出掛けに会った土方や原田の反応からして、悠日が今日こんな行動を取るとは思っていなかったはずだ。食事に盛られたとも考えられない。

 原因が分からない中、どんどん重くなる体を気力で支えていると、建物の影から一人、鈍色の頭巾をつけた男が閉じた扇子を肩口に担ぐようにしながら出てきた。


「お姫さん、理解できてねぇみたいだな」


 そう呟いたその男が、背に隠していたそれをおもむろに差し出す。

 それは円形の質素な香炉だった。闇の中で立ち上る煙は止むことがなく、彼が手にした扇を広げてそれをあおぐと、悠日たちの周りに香りが広がっていく。
 それは、先ほど御常御殿で聞いた香りと――護摩のような匂いと同じものだった。
 香りが鼻を突くたびにクラリと眩暈がする。


「鬼にはこういうのが効くって聞いたが、本当に効くんだな」


 そう言いながら、男は悠日に向かってゆっくりと歩み寄る。近づくたびに濃くなる香りで意識が遠のきそうになるのを、悠日は必死で抑えていた。
 だが体が言うことをきかず、逃げることもままならない。

 苦虫を噛んだような表情をしながら何とか意識を保とうとする悠日の前に、香炉がずいっと差し出される。
 香りが強まり、目の前が一瞬暗くなった。体の感覚が薄らぎ、力が入らなくなる。

 鈴の音にまぎれてカランという乾いた音がした。それとほぼ同時に、支えをなくした体が倒れこんだ。
 その悠日の隣からは、同じく体を支えきれなくなった牡丹が倒れこんだ音も聞こえる。


「ひ……め……」

「……っ……あなた、たちは……一体……」

「答える義理はないね。それに、知ったとしてもお前たちにできることはないな」


 あざ笑うような声で向けられた言葉に、悠日は悔しげに眉を寄せた。
 
 手から離れた薙刀が視界に入る。視界の端にはすでに力なく目を閉じた牡丹の姿。霞原の一族の血を引いているとは言え、彼女は傍系だ。常人よりも強い体質とは言え、病や薬への耐性は悠日よりも弱い。

 耐性の強い自分がこんなではいけない、起きなければ。
 ……逃げなければ、捕まるわけにはいかないのに。

 起き上がろうと地に手をついたが、力が入らない。瞼は重くなる一方で、指が力なく地を掻く。
 そんな悠日の抗いを笑いながら、先ほど影から出てきた男が目の前に何かを置く。


「おやすみ、お姫さん」


 霞む視界の中で、それが香炉だと認識する。香りが強くなり、引きずり込まれるように意識が遠のいていく。
 薄れ行く意識の中、思い浮かんだのは何も言わずに出てきてしまった彼の困ったような笑顔だった。

 こんなことになっているなどと彼は知らない。ここへ来たことは、全てを終えて帰ってから弁明するつもりだったが、それすらままならないのか。


「……そ……じさ……」


 震えながら伸ばした手がパタリと落ちる。

 ふいに感じ慣れた気配を感じた気がしたが、どんどん深いところまで落ちていく中でそれが何かを認識するところまでいかず、意識はそのまま重苦しい闇の中に飲み込まれた。

 瞼は力なく閉じられ、開く気配はない。

 強く吹いた風が橘の葉を揺らし、香の香りを当たりへ散らしながらざわざわとさざめくように音を立てた。


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