第十一花 野春菊

 枯れ葉の音がさわさわと風の音に紛れて聞こえてくる。
 夜の帳が下り、悠日は、ほぼ一日沖田に拘束されていた今日を振り返って、嬉しいのか呆れているのか自分でもよく分かっていない感情を持て余しながら部屋を出た。

 吹きすさぶ刺すような冷たい風に眉を寄せながら、悠日は部屋の外にいたその人に声をかけた。


「原田さん、こんな夜中にどうかされたんですか?」

「それはこっちの台詞だぜ。……どうかしたのか?」

「それをお訊きになります?」

「昼間の様子がおかしかったってのを、監察方から聞いてな。……どこへいくつもりなんだ、悠日?」


 柱にもたれかかるようにしてそう尋ねてくる原田に、悠日はにっこりと一見穏やかな笑みを浮かべた。


「女性にそれを訊くのは野暮かと思いますがね?」

「お前がただの女なら訊くつもりもなかったんだけどな。……何を隠してるのか知らねえが」

「行かせるつもりはないと仰りたいんでしょう。皆さん、随分と私を警戒していらっしゃるご様子ですしね。……気づいていないと思ってました?」


 今夜の部屋の周りは随分と騒がしいと思ったのは夕暮れ時。気配をほぼ完全に消していたが、それを察知することなど、悠日には造作もないことだった。
 そんな中で原田のいる方向とは真逆の方から別の人影が現れたのに、悠日は驚くことなくそちらを振り返る。


「この状況で出てくことなんざできねえだろ、霞原」

「……そんなことだろうとは思っていましたけどね。監察方がここまで動くとなると、原田さんお一人の考えとは思いませんから――土方さん」


 腕を組んで姿を見せた土方の眉間には深く皺が刻まれている。
 どうしたものかと思うものの、悠日は一つ息をついてから部屋から一歩外に出た。

 警戒するように、土方の左手が腰に差した刀へ伸びる。だが、それを横目でちらりと見ただけで、悠日は特に怯えた表情を見せることなく視線を再び前へ戻す。


「かなり前からお前の様子が少しおかしいってのは聞いてたんだよ。だが、これと言った証拠も何もなかったってのが現状でな」

「それで、昼間様子がおかしかったらしい私の様子を見に来たと。……はばかりへと、そう答えたところで信用してはくださらないのでしょうね」


 こんな夜中に、普通の女子が行く場所などそれくらいだろう。もしくは勝手場だろうか。
 なんにせよ、『普通』ならばこんな扱いはされないはずだ。

 もちろん、悠日はそれを異常ととらえてもいないのだが。
 涼しい表情で殺気ともいえる土方たちの視線を受け流す悠日の様子に、彼らもかなり怪訝な様子だ。


「信用に値するものがお前にあればよかったんだがな。数年前の一件以来、お前を心の底から信用はしてねえよ」


 数年前の一件というのは、悠日が変若水のことを知っていたことを伝えたときのことだろう。髪を切っただけで心の底から信用してもらえるとは思っていなかったので、それについて別に何とも思っていない。
 千鶴と違ってずっと警戒されていたことくらい、悠日も分かっていた。


「知っていましたとも。……それでも私を追い出さなかったのは、私が【知っている】からなのだということも。まあ、私もここにいる理由はありましたからね。――こうなってしまった以上、もうこれまでどおりただ警戒されているだけ、というのが無理なことも分かっていますけど」


 そう口にしてから、悠日は目を細めて空を見上げた。もう一歩前へ出た悠日を警戒するように、土方が鍔をほんの少し持ち上げたのを視認する。
 鯉口が上がってほんの少し見えた刃が、年の瀬が迫り細くなりつつある月影に怪しく光る。


「……牡丹」

「悪いが、あいつは既に監察方が拘束してる。ここに来ることなんざ……」

「できたがな」

「なっ……おまえ、どうやって!?」


 庭の木の上にその牡丹の姿を認め、土方も原田も目を見開いた。
 そんな牡丹に悠日が微笑むと、彼女は少しだけ呆れた表情で息をつく。
 だが、今の緊迫した空気の中でそれに関する話はあとでもいいだろうと、それは横において牡丹は土方へと視線を向けた。それに倣うように悠日も彼の方を向き、不敵に微笑む。


「簡単に拘束できるほど、牡丹も弱くは無いですよ」

「……見張りの奴らはどうした」

「今は眠ってもらっている。殺生は姫も望まぬことだしな、殺してはいないから心配するな」


 木の上から降り立ち、牡丹は悠日の傍に歩み寄る。悠日もそれに応じるように、縁の端まで歩み寄った。
 もはや相反するものとしての判断を下したのか、土方が刀をすらりと抜く。


「随分と恐ろしいものを振りかざしてくださいますね、土方さん」

「……おとなしくしてりゃあ、痛い目には合わせねぇよ」

「それは甘いのではないかと、思うんですがね」


 女だと甘く見ていると痛い目に合うのはそちらだとは誰も思っていないのだろう。
 刀に怯えることなく毅然と見上げてくる悠日の薄紫の瞳に、土方の眉間に深いしわが刻まれる。


「ったく……あんまり女にこういう物騒なもんを向けたくはねぇんだけどな」


 死角に置いてあったのだろう槍を持ち、原田も悠日へ警戒の色しか見えない瞳を向けてくる。
 縁へ上がり、悠日を後ろにかばうようにする牡丹が、双方を睨みつけながら懐から出した短刀を構える。


「随分と酔狂だな。姫一人、囲い込んで尋問とは。今まさにその域を超えたようだが」

「尋問にしては随分人数的な意味で違うと思うが?」

「何にせよ問い詰めていたことに変わりはないだろう。……して、姫。いかがなさいますか?」

「さて、どうしましょうか。どちらにせよ、行かなくてはならないのも事実」


 ここを突破しないことには何ともなるまい。それが分かっているから、悠日はそのまま部屋の中を振り返った。


「何をするつもりだ」

「さて、それは皆さんの行動次第ですね。私としてはあまり強行突破と言う方法は取りたくないのですけど」


 そう言って踵を返し、悠日は部屋へ入ると刃の隠された薙刀を手にした。
 悩む風情を見せてから一度目を閉じ、それを抱えるようにして持ち上げると再び立ち上がり、部屋の外へと出る。ちりん、と柄に下がった鈴が場違いに涼やかな音を奏でる。

 物騒な刃物を手にしたそれに警戒を露わにし、土方と原田はそれぞれ得物を構えた。


「何をするつもりだ」

「護身用とでも思っていただければ構いませんよ。身体的に何かされたわけでもないのに傷つけるほど、情がないわけではありません。とはいえ……力づくで止めようとなさるのであれば、私も容赦できませんが」


 そう言いながら、悠日はその刃は布に隠したまま庭へと降りた。
 履物は既にそこにある。それを履くと、悠日は屯所周りの塀の上を見つめながら目を細めた。


「それで? ……あなたは一体何しに来たのかしら?」

「何……?」


 さわりと風邪が吹く。そこに人影はないものの、悠日にはその姿が視えていた。
 鬼が使う隠行[おんぎょう]の術だ。悠日も使えないわけではないし、それが視えもする。
 返答のないその影に、機嫌を悪くした様子で悠日は再び声をかける。


「聞こえているはずよ。答えたらどう? ――風間」


 悠日の口から出てきた名前に、土方たちが目を剥いた。
 薩摩方に与する鬼たち。そのうちの一人だと彼らが知っているからだろう。

 鬼の存在は信じているわけではなさそうだが、それでも彼の剣の腕は土方たちの警戒に値するものなのも知っているため、悠日はそれには特に思うことなく風間からの返答を待った。


「ふん……様子を見に来てみればこれか。意外と持った方か」

「私は何しに来たのかと訊いているんです。邪魔しに来たのかしらね? あなたに益はないはずだけど」

「ないな。そもそもお前は二の次だ。あの娘のことも気になっていたからな、ついでだ」


 悠日の隣の部屋を指し示し、風間はにやりとそう笑う。
 悠日はそれには反応して薙刀の刃にかけてあった布を剥ぎとった。
 ひゅん、と風を切る音に、風間は不快そうな様子で眉を寄せる


「彼女に手を出すなと言ったこと、忘れたわけではないでしょう。再三忠告はしましたよね」

「俺には関係のないことだからな。そもそも、忠告されたからとて、俺がそれに従う理由もない」


 事実そうであることは分かっている悠日は息をついた。それでも、こちらは最悪取れる手段も持っているのだ。彼とてそれを忘れたわけではないだろうが、おそらく今ここで使うほど悠日が馬鹿でないことを知っているからだろう。
 つくづく嫌な性格をしていると、風間に対して改めてそう思う。


「……それにしても、彼女の二の次とはいえ私のことを、彼女とは別の意味で気にしていた辺り、私も信用のないことで。とは言えこれはあなたには関係ないことよ。あなたが介入すれば今以上にややこしいことになる。個人的なことに首を突っ込まないでもらえるかしら」

「悪いが、そういうわけにもいかんな。お前はかの一族直系唯一の生き残りだ。失うわけにいかぬことくらい分かっているだろう、霞原」


 最後の呼びかけに、今度は悠日が不快そうに眉を寄せる番だった。
 土方も原田も、風間と悠日のやり取りを警戒しながら見ているだけで、割って入る様子はない。

 ――そうできないよう風間と悠日が無意識にけん制しているがゆえにできないのだが。


「……その姓を呼ばないでほしいと再三言っているはずだけど。その耳はただの飾りか何か?」

「相変わらずだな、『宇治の橋姫』。……これならば文句はあるまい」


 その呼称にピクリと反応したのは土方と原田だ。


「『宇治の橋姫』だと……?」


 その名を聞いたのは、彼らは二回目だった。二条城の一件の時、千鶴がこの目の前の風間に連れ去られかけたときのこと。
 助けてくれたと千鶴は言っていたが、果たして今の風間との関係を見ているとどうなのか疑いたくなってくる。
 そんな視線を受けながら、その意味を分かりつつも悠日は小さく息をついて風間を軽く睨みつける。


「どうやら、こ奴らにもその呼称は知られているようだな」

「ええ、どこかの誰かさんが、別に名を呼ばずともいい場面で口にしてくれたおかげでね」

「まあ、お前の二つ名が知られようと、俺には関係のないことだがな。それで、手を貸したほうがいいなら貸すが?」


 不遜な彼の表情はあまり乗り気でないことを物語っている。懇願するなら助けてやらんこともないと、そういうほうが正しいか。
 彼のことだ、天霧に説得されてここに来たのだろう。候補に上がっていたとは言え、彼にその気があまりないらしいことくらい明白だ。彼とは別の人間にその気があることも知っているが、悠日は今この現状で手を出してもらおうと思うほど馬鹿ではない。


「あなたに借りを作るまでもない事案ですからご心配なく。……特に何があるわけでもなし、必要ないですよ」


 そう悠日が口にすると同時に、先程まで吹いていた冬特有の風とは異なる風が吹き始めた。
 ざわりと鳥肌が立つのに目を見張る土方たちを尻目に、悠日は目を閉じた。
 髪が風とは違う何かによってひるがえり、ゆらりとうごめく。ふわりと変化するそれは、闇から光へと移ろうように見えた。


「その姿を見るのは随分と久しいな、橋姫」

「こんな異質な姿で往来を歩こうものなら、人目を引くだけではないことくらい分かるでしょう。それに、知っているものには格好の獲物でしょうよ」


 さらりと、悠日は変化した――正確には元の姿に戻った髪に触れる。
 燐光を放つようにも見えるその髪は、山桜のそれと同じ色だ。同時に、刃がむき出しになった薙刀のそれから薄紫の燐光が浮かび上がる。瞳の色は普段よりも鮮やかな紫色に変化しているのが分かった。
 その姿は、星の光しか届かない闇夜に一層映えて見える。


「白い、髪……お前、やっぱり羅刹……」


 山南が羅刹になったときに、原田にこの姿を見られていた可能性は承知していた。そんな彼のその呟きからそれが確信に変わる。だからこそ余計に警戒対象として厳重警戒されていたのだろうことも、重々承知していたことだ。

 とは言え、彼のその解釈には間違いがある。いくらなんでもその間違いは自分たちに対する侮辱にほかならない。鬼と羅刹は似て異なるものなのだから。


「違いますよ。そもそも、この髪色は生まれたその時からこのままのものですから。黒髪は保護色のようなもの。人に紛れて、捕まらず生きるための」

「何のことか知らねえが、なおさら行かせるわけには行かねえな。……聞きてえことが、たんまりとある」

「無理ですよ。……人に捕まらぬよう生きてきたのが我が一族です。逃げ足の速さにだけは定評があります」


 紫苑色の瞳は、以前沖田と会った時のその瞳よりもずっと深い色をしている。
 この姿を知っているのは、今ここでは彼くらいだろう。

 そんなことを何気なく考えた自分に苦笑しながら、悠日は土方の言葉にそう拒否の意を伝えてから地を軽く蹴る。

 瞬き一つの間に、悠日は風間のいる場所のすぐ隣へと降り立っていた。牡丹もそれに倣って悠日の傍へたどり着くと、手にした刀はそのままにその足元へひざまずく。
 土方も原田も、何が起こったか把握できずに目を見開いている。


「それで、どうするつもりだ」

「どうするも何も、姫様から呼び出しを受けたのは事実ですし、そもそも今回の件は私が対応しなければならないことですしね……。土方さん、千鶴ちゃんは何も知っていませんから、彼女に問いただすことはやめてくださいね。これは私自身の問題で、彼女は関係ないですし。とりあえず、帰ってくる予定は一応ございますので、その時にまた質問にお答えしますよ。……今は、時が惜しい」

「は?」

「それに……彼とも、決着をつけなければなりませんから」


 数日は戻りません、そう口にして、悠日は闇に溶けるように姿を消した。牡丹もほぼ同時に姿を隠す。
 それを見送るように、腕を組んでいた風間があきれた表情で息をついた。


「……まあ、そうなるか。あやつも随分と人の子に甘いな。……一族の性か」


 ふ、と笑うと風間は背を向けた。
 だが、それに土方が刃のような鋭さを持った瞳を向ける。


「てめぇら、いったい何がしたい。あいつはテメェの仲間か」

「仲間、か。まあ、鬼というひとくくりでは仲間になるだろうな。もっとも、あれはかなり異質な存在だ。あやつは長州方にも幕府方にも決してつかぬだろうよ。そういう意味では、俺たちの仲間ではないだろう。何がしたいではなく、何かをせねばと動く一族だ。……少なくとも、お前たちに危害が及ぶことに出向いたわけではあるまい」

「……どこに行ったか知ってやがるって風情だな」

「俺も命は惜しい。それを言う義理もないな。ひとつ言っておくとすれば……あの橋姫の一族は、人と鬼とをつなぐ一族だ。鬼にも人にも、非情になるときはあるとだけ言っておいてやる。いざとなったら切り捨てられる覚悟も持っておくといい」


 可笑しそうにそう笑いながら、風間も闇に溶けるように姿を消す。
 冷たい風邪が頬を撫で、二人は厳しい表情で彼らのいた場所をしばし見つめていたのだった。


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