第十一花 野春菊

 食事の準備を手伝い、膳を部屋に運んできて、牡丹と三人そろっていただきますと手を合わせる。
 黙々と食事をするものの、千鶴の箸の進みが遅いのに気が付いて、悠日は首を傾げた。


「千鶴ちゃん、どうかした? あまり進んでいないみたいだけど……」

「あ、ごめんなさい……ちょっと、いろいろと気になってることがあって」


 そう言いながら、千鶴は少し周りをうかがう様子を見せた。そんな彼女の動作から、彼女が何を言いたいかを察知し、悠日は遠慮がちに尋ねる。


「『新撰組』……羅刹隊のこと?」

「なんで……」


 悠日ちゃん心でも読めるのと言わんばかりの目で見つめられ、悠日は少し困った表情をした。日が傾いて月の光が少しだけ差し込む部屋では、それはどこか遠いものに感じられて千鶴は少し不安そうな表情を向ける。
 だが、そんなことを千鶴が思っているなどとは知らず、悠日は察した理由を口にした。


「最近、少し山南さんの様子がおかしいから、もしかしたらそうかなと思ってたの。私も少し気にはなっていたし」

「悠日ちゃんも気になってたんだ……」

「うん、少しだけだけどね」


 というより、悠日が彼らの気性の荒さを抑えられなくなってきているといった方が正しいかもしれない。
 力を使おうと使うまいと差がほとんどなくなってきてしまっているのだ。本気でやればできないわけではないが、そうもいかないのが現状である。
 それが分かっているから、悠日も悩んではいた。もちろんそれを知っているのは牡丹だけで、それ以外の面々はそんなことすら知らない。


「私たちが気にしても仕方ない話なんだけどね……」


 そんなことはないがそう言う以外なく、悠日はそう呟いた。

 どちらからともなく息をついたとき、再び部屋の外に気配を感じて、悠日は内心警戒し、牡丹は膝を浮かせる。

 すっと襖が開き、夜闇の向こうから一つの影が部屋へ入ってきた。


「山南さん、何かご用でしょうか……?」


 先ほど話題に上がっていたその人の登場に、千鶴が不安そうな表情でそう尋ねる。
 だが、それを聞いていないかのように、どこか遠くを見てうっとりとしながら口を開いた。


「この薬は素晴らしい。羅刹化計画が失敗などと言っている理解の薄い馬鹿どももおりますが、私は成功だと考えています。これさえあれば、長州も襲るるに足らない……!」

「なにを、おっしゃっているんですか……?」


 成功だなどと、どうしてそんなことを言えるのか。血に触れれば狂い、太陽の光の中では満足に動けない。そんな状態にしてしまう薬に、成功も何もない。
 そんな気持ちも乗せて呟いた悠日の言葉を聞いて、山南がきっと睨みつけてきた。


「何を言うのですか、霞原君! 私もこの薬を用いてから生まれ変わったような気すらするのですよ! 雪村君! 雪村君は成功だと、そう思うでしょう!?」

「え、と……」


 詰め寄られて、千鶴は困った様子で視線を動かす。
 左腕を壊してしまう前のあの穏やかさはもうない。左腕を壊してしまったころのようなぴりぴりとした空気も見られない。
 変若水を服用してからはどんどん常軌を逸し始めていると思うのは気のせいだろうか。
 困惑した表情で俯いてしまった千鶴の前に、悠日が手を広げてかばうように前に出る。


「千鶴ちゃんはそれを体感しているわけではありません。羅刹隊に関わっている期間もあまりに短い。そんな彼女に聞く方が間違っていると、なぜ分からないんですか」

「霞原君、それは君も同じでしょう」

「私はそれ以前から、存在とそれによる作用も副作用も知っていましたから」

「しかし、私が改良に改良を重ね、今もこうして狂うことなく生きていられる。それが成功でなくて何だというのですか。……所詮、あなたもあの馬鹿どもと同じ考え方だと、そう言いたいのですか」

「どちらが正しいかなど、誰も分かりません。しかし……」


 そう反論しようとした矢先、山南が悠日の腕をつかんだ。
 眼鏡の向こうの瞳が、暗い光を帯びて怪しく光る。


「姫様!!」

「以前は動かなかった左腕もこの通り、動くようになったのですよ。……どうです、痛いでしょう? 以前はこんなことすらできなかったのですよ、私は」

「……っ」


 人とは思えない力で、腕を握る山南の左手。
 かなりの力で掴むその手の爪が、悠日の白い肌に食い込み始める。
 痛みで顔をゆがませる悠日の様子に、牡丹も戦慄の表情を見せた。


「その手を離せ、山南!」

「女の子の手首を掴んで何してるんですか、山南さん。……悠日ちゃんから、離れてくれないかなぁ」


 牡丹の声と、つい今しがた帰って来たらしい沖田の声が重なった。くすくすと笑いながら発された言葉だが、目が笑っていないのが分かる。
 助かった、と思って知れず息をつく悠日を、千鶴が心配そうな表情で覗き込む。


「悠日ちゃん、大丈夫……?」

「大丈夫、だけど……」


 沖田の言葉に、議論が白熱して頭に血が上ったようだと山南は少しだけ申し訳なさそうな表情でそう謝った。先ほどの暗い光はその瞳から消えていたことに少しだけ安堵する。


「姫様……」

「大丈夫……すぐ治る程度のものよ」


 最後の一言は、牡丹にだけ聞こえるほどの小さな囁きだ。爪の跡から、じわりと血がにじむ。羅刹が反応するような量ではないが、それでも傷口を見せるわけにいかず悠日は掴まれていた場所をかばうように自身の左手で抑えた。


「平助君たちは、早かったんだね、帰ってくるの」

「左之さんと新八っあんはまだ呑んでくるみたいだけどな。土方さんは角屋の君菊って姐さんに気に入られたみたいでまだ残ってるし。……いくら報奨金で行ったって言っても左之さんの懐が心配になるくらいに綺麗な姐さんだったぜ」

「そ、そうなんだ……」


 どこか心中複雑そうな表情で千鶴は乾いた笑みを見せた。好意を寄せている男性から『綺麗』などという言葉が出れば、確かに複雑な気持ちにもなろう。
 この二人、やはり前途多難である。

 沖田との関係とて端から見たらそう取れなくもないのだが、悠日自身は気づいていない。

 それにしても、君菊か。
 そんなことを思いながら悠日は内心ため息をつく。
 大方、新選組の面々がどういった人間かを見ようと近づいているんだろうなぁと思ってしまう。

 おそらく、彼女の指示なのだろう。ああ、これで印象最悪と太鼓判を押されたら強制的に連れていかれるんだろうななどと、悠日は少し遠い目をした。


「悠日ちゃん、どうしたの?」

「え、いえ、別に……」

「雪村も霞原も疲れているんだろう。そろそろ部屋を出た方がよさそうだな」

「えー、僕は? 僕いちゃ……」

「すみません、お願いします」

「悠日ちゃんのけち」


 なんとでもどうぞと思いながら苦笑を返すと、仕方ないなと沖田も苦笑を返してきた。
 山南もその言葉で察してはくれたのか、残念そうに肩をすくめつつも了承の意を示した。

「……そうですね、先ほどの話はまた次の機会に」

「では、雪村、霞原。ゆっくり休むといい」

「ありがとうございます、斎藤さん」


 少しほっとした表情で千鶴が礼を言い、悠日もそれに続いてお辞儀を返す。
 気にするなという風情の斎藤に苦笑していると、部屋を出ようとしていた沖田がふと山南さんに声をかけた。


「ねぇ、山南さん。あの薬ってさ、病気とかは治せるのかな?」


 その質問に悠日はぎょっとしつつ、なんとなくといった風情を装って沖田へ視線を向けた。
 それに気付いているのかいないのかは分からないが、こちらに視線は戻らない。

 山南は、薬に興味を持ってくれたことがうれしいのか、嬉々として弁をふるう。


「もちろんですよ。私自身、今では生まれ変わったような心地でいるのです。医者から見放されたような怪我や不治の病も、絶対治すことができるはずです」

「ふーん……そっか……」


 そんな会話をしながら、二人は部屋を去っていく。
 山南さんの相手は総司に任せようと口にした斎藤に頷きながら、悠日は複雑そうな表情を浮かべる。
 悠日と同調するかのような表情をしている藤堂がぽつりと呟いたのはその時だった。


「山南さん、変わっちまったな……」

「うん……」

「そういえばさ、千鶴。制札を引き抜いてた土佐藩士を捕まえたとき、左之さんがお前によく似たやつを見たって言ってたんだ」

「え……?」

「でもその日、千鶴ちゃんは屯所から出てないよ? 仮にいたとしても、千鶴ちゃんが新選組側の邪魔をする理由もないし」

「それは分かってるから大丈夫だって。ただ、そういうことがあったからさ、一応その……気を付けとけって言うのは変だけど……」

「また聞かれてもびっくりするなってところかな?」

「そうそう、そんなとこ。……引き止めちまって悪かったな、ゆっくり休めよ、二人とも!」


 そう言いおいて、藤堂も部屋を出ていく。
 厄介事が次から次へと発生していくと、悠日は頭を抱えたくなった。

 三条の制札の件に関わっているだろう薫。
 おそらく労咳を治せるか否かという意味での問いだったのだろう沖田の言葉。
 島原にいる君菊の存在と、時折町に降りてくるかの姫の存在。

 ああ、もう私にどうしろと。
 そんな思いがこみ上げてくる悠日である。

 その悠日の横では、腑に落ちないといった風情で千鶴も眉を寄せていたため、悠日はとりあえず彼女の心配を少しでも取り除かなきとと千鶴に向き合った。


「どういう、ことかな……」

「少なくとも、千鶴ちゃんじゃないことは間違いないでしょう? それに夜の間の話だもの、見間違いってこともあり得ないわけじゃないし」

「そう、だね……」


 それでも不安そうな表情を浮かべる千鶴に、悠日は大丈夫と笑顔を返したのだった。

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