第十花 赤酸漿
陰で聞いていた【三人】は、沖田が去ってからようやく緊張を解いた。
「斎藤さんが止めてくれなかったら、完全に気付かれてました……。ありがとうございます」
「いや、不躾だったのは俺だ。だが、指示に従ってくれたのは助かった」
千鶴の父が、攘夷派浪士と行動を共にしていると聞いた瞬間、千鶴は動揺のあまり声をあげそうになった。それを止めたのが斎藤だ。
隣にやって来た山崎もまた、話を聞いていたうちの一人。おそらく初めからいたのだろうと思いながら、いえと千鶴は首を振る。
「それで、総司のことなんだが。――聞かなかったことにしてくれないか」
「え、と……それは……」
誰にも言うな、ではない。聞かなかったことにしろ、というのは。
――忘れろということだ。
「あの人が病で倒れたとなったら、内にも外にも及ぼす影響はあまりに大きすぎる。雪村君にも分かるだろう」
「何より、局長も副長も心配する。……病についての対処は俺たちに任せておけばいい。あんたはこれ以上関わるな」
そう言葉を向けられて、千鶴は黙ってしまった。
自分が立ち入れる領域ではないことを改めて自覚したのだ。
「でも、悠日ちゃんには……」
牡丹を通じて知らされるはずだ。その彼女にも、同様なのだろうか。
そう考えていれば、案の定の答えが返ってきた。
「それは、俺が牡丹君を通じて伝えさせる。どうやら、彼女はこちらに気づいていたようだしな」
「え、牡丹さん気づいていたんですか?」
「おそらくな。何度か視線を向けられていた。総司は気づいていないようだったが。……一見そうは見えなかったが、あれでもそこそこ動揺していたらしい。あの牡丹とやらに総司が気づいたのは、彼女が気配を適当に消していたからだ。完全に消していれば、恐らく総司も気づいていないだろう」
あえて気配を完全に殺していなかったのは何故かは分からないが、少なくともこちらに意識が向かなかったことはありがたかった。
「なんにせよ、お前たち二人には関わりないことだ。忘れろ。……もし霞原が何かを言っても、そう伝えておけ」
そう告げると、二人は去っていく。
その背を見送って、千鶴は唇を引き結んだ。
さまざまなことが告げられて、混乱している。
昨日告げられた変若水と羅刹の存在。今日聞いた沖田の病と父の行方。
衝撃を受けすぎて、整理できていない自覚はある。
とりあえず部屋に戻ろう。そう考えて、千鶴もその場を後にしたのだった。
その頃、松本は屯所を去りながら小さく息をついていた。
沖田の件については伏せて、今後もこの隊の面倒を見ると近藤に告げれば近藤達は大いに喜んでくれた。
沖田の体調を診に行くついでに千鶴の様子も見れるのだから、それはそれでよいのだが。
だが、労咳は治らない。治ってもごく少数で、それもしっかり療養したものばかりだ。たとえ薬を飲んだとしても、治る確率は非常に低い。そしておそらく、彼は治らない可能性の方を考えている。それがある意味当然だった。
そんなことを考えて、ふと思い出したこと。
労咳は、療養せねば治らないというのが一般の大多数の人間の認識だ。療養してすら治らない可能性が高いのが、労咳。それが常識なのも分かっているから、彼の『先が短い』という言葉も否定しなかった。
だが、いつだったかに聞いた話がある。誰からだったかは覚えていないが、数年前の話だ。
京に住むとある一族が、万能薬と呼ばれるものを持っている。
不治の病と呼ばれるものも、それこそ死者すら甦らせることもできる薬だとか。
その一族は、ひっそりと人知れず暮していて、今はもう滅んでいるとか、実はどこかで生き延びているとかはっきりしなかった。
もっとも、京の人間に聞いても知らないと皆言っていたから、単なるおとぎ話だろうが。
医者として、治らない人を見るのはとてもつらい。労咳だと告げたときに絶望の表情をする患者を何人診てきただろうか。
本当に、病を治せる薬がならば、皆喉から手が出るほどに欲しいだろう。
変若水のように、その効能に反する強い副作用があるのであれば、さすがに避けるだろうが、そうでないのだとしたら。
「橋守の一族、か……」
もしいるならば、一度会ってみたいものだな。
そんなことを思いながら、自身の診療所へ患者が来ている可能性も考え、松本は帰路を急いだ。
<第十花 終>
2015.3.1