第十花 赤酸漿

 健康診断の結果、あまりに体調不良者が多すぎるということで、隊内の清掃を徹底させるため、その日に全員での大掃除が執り行われた。
 その次の日に松本がその成果を見に来るとかで、ずいぶんと慌ただしくみんな動き回っていたが、そこに悠日の姿はなかった。

 実際は、松本も帰ったこともあって、悠日もその掃除に参加しようと顔を出したのだ。
 だが、土方達はともかく、千鶴には少し――いや、かなり反対されたのである。

 どうやら沖田が、悠日が部屋で眠っていたことを千鶴に話したためらしく、つまらないといった風情で本日も部屋の中である。
 今も一人で部屋にいるだろう主のその時の様子を思い出しながら、牡丹は小さくため息をついた。









 松本が帰ったことを牡丹から聞き、さすがに健康診断が終わった後も部屋にこもっているわけにもいかないと思って顔を出した悠日に、千鶴がまず駆け寄ってきた。


「悠日ちゃん、昼間寝てたって……」

「あ、うん。気が付いたら寝てたみたいで。……それがどうかしたの?」


 不思議そうな表情で雑巾を手に桶の水に浸していると、その手を千鶴に掴まれて、悠日は驚いて何度も目をしばたたかせる。


「無茶しちゃだめだよ! ちゃんと休まないと!」

「え……?」

「そうだよ。さっきだって疲れた感じで寝てたんだし、今日一日部屋で休んでればいいのに。……むしろしばらく寝てた方が体のためじゃないの?」

「あの……」


「そうなんですか沖田さん!? じゃ、じゃあ悠日ちゃん、沖田さんの言う通り……」

「そうですね。姫、どうぞ部屋にお戻りください」

「……牡丹までそう言う」

「大した風邪ではないですから医者に見せるほどではないようですが、どうぞお休みください。……今も、あまり顔色は優れません」

「それは……」


 確かに疲れているからか顔色は少々悪いかも知れないが、ここでなぜそれが牡丹の口からも出てくるのかわけが分からず、本気で戸惑いの表情を魅せた悠日に、土方がとどめの一言をぶつけた。


「動きまわっててぶっ倒れられても俺達が困る。お前は部屋でじっとしてろ。少なくとも今日明日は動き回るな」


 いくら隊士ではないとは言え居候の身。我儘が言えるはずもなく、悠日まそれにしぶしぶ了承した。













 そののち、牡丹から次の日も松本が来ることを聞き、悠日もそれでようやく納得がいったようだったのでよかった。
 逆に医者に見せたほうがいいのではという意見もあったが、そこまですることないと断って今に至る。

 磨きあげた屯所内に満足そうな表情をした松本医師に、皆もほっとしたような笑顔を見せた。
 今は、今後の掃除方針の相談などを幹部を中心に行っているさなかだ。
 一部仕事に戻る隊士たちもいて、自然解散の流れになったらしい。

 そんな中、松本良順に連れられて、ひっそりと広間を出ていく沖田の姿に、千鶴と牡丹がふと気づいて首を傾げた。

 どうしたのかと不思議そうな表情でそのあとを遅れてついて行く千鶴と違い、牡丹は怪訝そうに眉を寄せるだけだ。
 以前から、何らかの兆候というか、体調不良は目にしていた。彼女の主である悠日もそれにうすうす感づいてはいたものの、医者ではないため確証が持てず今まで来ていた。

 そんな彼が、医者に呼ばれた。しかも、あまり気づかれないように、ひっそりと。

 これは何かあると思い、ひとまず悠日へ報告しに行こうと踵を返したとき、腕を誰かに掴まれ、不機嫌そうな表情で牡丹はそれに振り返る。


「何用だ、原田」

「ちっとばかし聞きたいことがあってな」

「お前に話すようなことは何もないが」


 失礼、とすり抜けようとする牡丹の行く先を、原田が遮る。
 その行動に、このままさっさとのしていくかと不穏なことを考え始めた牡丹に、原田がごく小さな声で尋ねた。


「悠日、何を隠してやがる」

「……何が言いたい?」


 不機嫌そうな表情で質問に質問を返した牡丹に、原田は小さく息をついた。


「あいつが疲れた顔をし始めたのがいつごろからか、千鶴に訊いた。山南さんの件以降らしいな」

「それが?」

「……あの日、あいつはどこで何をしてた?」


 その言葉に、牡丹はさらに眉を寄せる。疑っているのかと心外そうな瞳を向けながらも、やはり気づかれていたかと心の中で息をついた。
 しかし、悟られるわけにもいかず、牡丹は何も知らぬといった顔でそれに答えた。


「部屋で寝ていらっしゃいました。千鶴様の声で目が覚めたご様子でしたが、状況的に見て部屋を出るのはまずいとお思いになったらしく、外に出ることはなさらなかったようでしたが」

「……なら、二条城の一件の時は?」

「お前もずいぶんとしつこいな、原田。そんなに気になるならば、姫の周りに配してある見張りに訊いてみればいい。……もっとも、彼らも部屋から出た様子はないと言うだろうが」


 それが事実だ、と言って、牡丹は広間を出ていく。
 事実、姿は見られていないのだ。それは断言できる。
 ゆえに、疑われる要素は一つもない。それが現実的に分かっているから、それを突き付けただけのこと。

 それでも、一応この件についても報告はした方がいいだろうか。そう考えながら、一路悠日の部屋を目指すことにした。

 その背を見送りながら、原田は納得のいかない表情で腕を組んだ。

 ならば、あの時見た影はいったい何だ。

 山南が変若水を飲んだ時に、庭先で見た人影。
 そして、二条城の時、塀の上に立っていたその人物。
 どちらも陰に隠れていたり、遠目だったりして、それが彼女とはっきり断定できたわけではない。
 ただ一つ、共通することがある。

 白に近い長い髪と、紫の光。
 闇に映える前者と闇に溶け込む二つのそれは、なぜか原田の中に強く残っている。

 山南の一件に関しては、見ていたのは自分だけだ。誰かの目があったわけではないので見間違いということもあり得ないわけではない。
 しかし、二条城の時にも再度、似たようなものを見たのだ。何かしら思うところができるのは当たり前だろう。


「……まあ、実際見張りの奴も、それを見てねぇって言ってるしな……」


 牡丹に言われるまでもなく確認を取っていた原田なので、そのことはちゃんと分かっている。
 彼らが見ていないのならば、確かに見ていないだろう。彼らが嘘をつく理由が見当たらない。
 だから、彼女でないだろうことは確かなのに、何かが引っ掛かっているのだ。


 なんにせよ、今まで通り気にするしかねぇな。
 そう思いながら、原田もまた隊務へ戻ろうと踵を返したのだった。


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