第十花 赤酸漿

 それから数日後。
 真剣な表情をした牡丹と、悠日は薄暗い部屋の中で向き合っていた。


「姫、あの獣のようなむさくるしい集団を見る必要はございませんので、本日は部屋の中で静かにお過ごしください」


 朝一番にやってきた牡丹から朝の挨拶のすぐあとに言われたその言葉に、悠日は目を丸くした。


「獣?」

「姫のお目を汚す必要はございません。外でやらねばならないことは、本日は私が代わりにやります故」

「……牡丹、一体どういうこと?」


 理解しかねて、悠日は眉を寄せて首を傾げる。
 牡丹が言うのであれば、自分が見るべきものではないのだろう。見る必要はない、といわれるものは基本的に見せられてこなかったし、そういうものだということも分かっていた。
 だが、何が起きるのかということくらいは把握していないとこちらとしても困るのだ。

 悠日がそういう意図で質問したことを牡丹も分かっているため、それにはためらいなく答えた。


「本日、幕府の御典医・松本良順が参ります。新選組の面々の健康診断をするとのこと」

「健康診断……」

「大広間には、上半身をさらけ出した男どもがおります。姫にそのようなものを見せるわけにはまいりません」


 なので、と間を置き、牡丹は悠日をまっすぐに見つめて言い放つ。


「姫には本日一日、部屋にいていただかねばなりません」

「……そう、なの……」

「ちなみにその許可は、すでに土方にとってありますので、新選組からの苦情もありません。ご安心を」


 ちゃっかりその許可を取りに行ったあたり、牡丹も抜かりない。
 一応この新選組での悠日の立ち位置が分かっているから、牡丹もそのように動いてくれているのだろう。
 おそらく内心では、姫個人の事情でなぜここまで縛られなければならないのか、などと考えているに違いないが、それを抑えているあたりよい乳姉妹に恵まれたと悠日も喜ばしい。


「それに、結界を張って以降、姫もお疲れの御様子。……今日はどうぞ、ゆっくりお過ごしください」

「……そうね、今日は部屋でおとなしくしているわ。……私はね」

「はい、よろしくお願いします」


 何ら反論することなく了承した悠日に頭を下げると、牡丹は悠日の部屋を出ていく。
 悠日は、自然と息をついた。

 別に、牡丹は本気で男どもの肌脱ぎを見せまいとしているわけではないのだ。いや、確かにその意図もないわけではなかったのだろうが……。
 ただ、それが理由として打ってつけだったからそれを用いたのだ。


「……幕府の、御典医……」


 とはいえ、松本良順という名前は聞いたことがない。知らないかもしれないし、知っているかもしれない。
 だから、牡丹はあんなことを言ったのだ。それが分かっているから、悠日はそれ以上踏み込まなかったし、反論する必要もなかった。


「まあ、部屋の中にいれば、大丈夫よね」


 大丈夫。――大丈夫。

 そう自分に言い聞かせ、悠日は胸元の首飾りを握りしめながら目を伏せた。






















 そのころ千鶴は、牡丹曰く悠日には見せられない男の半裸を見て、頬を赤らめていた。

 それを見て、原田が苦笑いしながら千鶴に声をかける。


「ったく、照れるこたぁねぇだろう。それにしても千鶴、珍しいな。お前一人ってのは」

「あ、はい。今日は部屋から出ないようにって牡丹さんから言われたらしくて……」

「はぁ?」

「あの方に、男のそんなむさくるしいものを見せられるはずがない」


 いつの間にいたのか、冷たい瞳で半裸の男たちを見つめる牡丹が同じく冷たい声で責めるようにそう口にした。手にしているのは雑巾だ。本気でここに悠日を連れてこなくてよかったと言いたげである。

 そんなものを堂々とさらけ出すとは、と言わんばかりの視線に、原田は自身の腕を曲げ、上腕の筋肉を見せつけるようにしてきらりと笑う。


「おいおい、そういうことを言うなよ。ほら見ろ、この鍛え上げた筋肉!」

「そういうことをするから余計見せられない」

「……お前な……」

「あはは……」


 そう言って牡丹は、あきれた表情をする原田と苦笑するしかない千鶴からふいと視線をそらして廊下掃除を開始した。
 いつもは千鶴と悠日でやっているので、今日牡丹がやっているのは少々異様だろう。


「でも、最近なんだか悠日ちゃん、疲れた表情してたから……。今日一日くらい、休んでもいいかもしれないですね」

「疲れてる?」


 怪訝そうな表情で、原田が眉を寄せる。
 それに、千鶴も少し不思議そうな表情をしながら首を傾げつつ言った。


「はい。なんだか、一日中動き回った後みたいな……。夜になると、すごく疲れた表情してるんです」

「一日中あの沖田に絡まれればそうもなりますよ」


 いい加減やめてほしいとぶつぶつ呟く牡丹のそれを受け、千鶴はあたりを見回して首を傾げた。


「……あれ、そういえば沖田さんは?」

「あー、そういやあいついないな。どこいったんだ? さっきまでそこに……」


 列を指示し、該当するそこがぽっかりと空いているのを見た牡丹は苦虫を噛んだような表情をした。


「……くっ」

「ぼ、牡丹さん! 落ち着いて……!」


 今にも回れ右して悠日の部屋に戻ろうとする牡丹を抑える千鶴を傍目に、何かを考え込む様子で原田は悠日の部屋の方向へと視線をやった。


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