第十花 赤酸漿

 大きな布は、突然の乱入者を覆っている。髪も顔も藍の布で覆われているので表情も何も分からない。
 時折布の隙間から、白に近い桃色の淡い燐光を放っている糸が見える。

 風間を阻んだ先ほどの光二つは、その者の周りをふわりふわりと舞っている。
 そこに風間への警戒の色が見られ、再び千鶴へ手を差し出そうとすれば再び雷が彼を攻撃することは分かり切っていた。

 光の玉が発するものとほぼ同じ紫の燐光を放つ薙刀の切っ先は風間に据えられており、乱入者はじっと彼を見つめている。


「……またその恰好か。よほど見られたくないらしいな」

「…………」


 その言葉に、その人物が答える様子はない。
 黙りこくっているそれに、風間は眉を寄せた。


「何とか言ったらどうだ、かは……」


 風間が何かをつむごうとしたのとほぼ同時に、乱入者はひゅんと腕を振った。

 構えた刃は、そのまま風間の喉元へと向かう。
 だが、風間は少々驚いた様子を見せただけで、即座に抜刀してそれを軽々と受け止める。


「……そこまでして、知られたくはないか……。姓でも名でも呼ばれることを拒むならば、これなら問題あるまい――宇治の橋姫」

「うじの、はしひめ……?」


 風間の言葉を復唱した千鶴に、乱入者――橋姫と呼ばれる者は一瞬視線だけを向けた。

 闇に光るような明るい紫の色の瞳に、千鶴は既視感を覚えた。
 だが、躑躅の花を思わせるその色の瞳を持つ人がいればすぐ思い出すだろうし、仮にいたとしてもわざわざ顔を隠してここにくるとは思えない。


「……邪魔立てするなら、貴様といえど容赦するつもりはないぞ」

「……彼女と同じく候補に挙がっていた私に、そのようなことを申しますか」


 小さな声でそれに応じた橋姫に、風間は不機嫌そうな顔をした。
 とても小さなそれは離れた千鶴には届いていない。


「お帰りください、風間家頭領殿。……天霧、不知火も、さっさとこの馬鹿を回収してください」

「この状況で帰れと……? 面白いことを言う」

「どうやら、救援も来たようですしね。あまりおおごとにしたくなければ、帰ることが得策では?」


 そう言って、橋姫と呼ばれた影はとんっと地を蹴る。
 ふわりと舞ったその姿は、先ほどまでいた塀の上へと戻っていく。

 その手から離れた燐光は、千鶴の周りをふわりふわりと守るように舞っている。
 風間が舌打ちをしたのと、刃が風を切る音が響いたのはほぼ同時だった。


「……こんな色気のねぇところで逢引かぁ? 趣味わりぃな、てめぇら」

「……また貴様たちか。田舎の犬は鼻が利くというが、その通りだな」


 斎藤、原田、土方、山崎の四名が、この場に集う。
 千鶴はその顔触れを見てホッとすると同時に、先ほど消えた影を目で追った。

 ひらめく藍の衣。月明かりを受けてとても目立つはずなのに、土方達が気づく様子はない。


「……あの時のやつらか。……将軍の首でも取りに来たか」

「悪いが、今は将軍なぞに興味はない。……その娘に用があるだけだ」


 ちらりと千鶴を見る風間のその視線に、千鶴は一歩下がった。
 先ほど向けられた、執着ともいえる瞳を思い出し、恐ろしく思ったのだ。


「てめぇらはなぜ、こんなガキに用がある」

「その女の価値など、人に貴様らには関係のないことだ。我ら鬼の間の問題に、口を挟まれるいわれなどない。……邪魔立てさえ入らなければ、容易かったものを」


 忌々しげに塀の上を見つめ、風間は眉を寄せる。
 それにつられたように、新選組の面々の視線も上へあがった。

 殺意にも似たその視線を涼しく受け止め、影はそのままひらりと姿を消す。


「まあ、いい。今日無理に連れてゆくこともあるまい。……だが、いずれ迎えに来る。待っているがいい、雪村千鶴」


 不敵に笑み、風間はそのまま闇に溶けるように姿を消す。

 ほっとしたのか、千鶴の膝が砕けた。


「千鶴、大丈夫か」

「は……はい……」


 原田が、そんな千鶴に駆け寄って声をかける。大きく深呼吸しながら自信を落ち着かせようとする千鶴に苦笑し、原田は彼女に手を差し伸べた。


「おい、千鶴」

「は、はい……」

「お前、あいつに狙われる心当たりはあるか?」

「い、いえ……それが、私にも……なにがなんだか……」


 とにかく怖かった。それが感情のほとんどを占めていて、状況をうまく把握できていない。


「山崎、こいつを屯所に連れて行け。……あいつがまた来ないとも限らねぇ」

「承知しました。雪村君、行くぞ」


 山崎に促され、千鶴はそのまま屯所へと戻っていく。
 それを見届けた後、原田は、先ほどの影のいた場所を見つめた。


「原田、どうした?」

「……いや、何でもねぇよ」


 何でもない、と言いつつ、原田のその瞳には、何か確信めいたものを得たという感じの様子がうかがえる。
 それに気づきつつも、それ以上詮索しても何も言わないと考えたのか、土方もそれ以上問うことはなかった。


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