第十花 赤酸漿
それから夜も更けて、一緒に添い寝してあげようかという沖田の本気混じりの冗談に笑顔で断りを入れた悠日は、自室で息をついていた。
鬼の気配を感じる。
そしてそれは、あまり歓迎したくない気配だ。
関わらないでいられるなら、それがいい。
だが、鬼の世も人の世も渦巻くこの風は、それを決して許してはくれないだろう。
それが分かっているから、そろそろ潮時なのかもしれないと、悠日は覚悟を決めていた。
逃げられないのは、いつでも同じ。
この血筋は忌まれるもの。抗うことを許されず、せめてもの抗議は『どちら側にもつかない』ことだけ。
だが、それすら否定されたら、自分はどうすればいいのか。
立てた膝に顔を埋め、悠日は唇を引き結ぶ。
相思相愛というものが自分に許されるなら、どんなに良かっただろうか。その言葉がどれほど嬉しかったか。
自分がただ者で、何のしがらみもなければそれを受け入れることも出来ただろうに、それすら許されない。
「……自分の心さえ、ままならないのに」
許されないと思うからこそ、止められない思い。
八年……九年前に芽生えた淡い恋心は、長い年月を経て、大きく花を咲かせた。
だがそれは、触れてはいけない花。本当は、咲かせてはいけない花。
――すぐに散らしてしまわなければならない花。
……それでも、今なお枯れずにいるのは、まだ諦めきれていないということ。
その想いは、胸のうちに秘めておくべきだと思うのに、抑えきれない。
今日流されそうになった自身を責め立てながら、悠日は膝を抱える手に力を込める。
そんな時、不意に呼ばれた気がして悠日は顔を上げた。
「……千鶴ちゃん?」
助けを求めるような、そんな声。
もちろん、声と言っても、実際の『声』とは少し違う。
声そのものが届いたわけではなく、敢えて言うなら直感、と言ったところか。
虫の知らせとも言うだろう。
「まあ、なんとなく察しはつくわね」
大方、あの御曹司が彼女に無茶を強いようとでもしているのだろう。……ああ、今は頭領だったか。
何にせよ、禁門の変の折りにそのようなことを呟いていたから間違いないと思われる。
「姫様の代わりに、灸を据えに行くべきかしらね?」
そう言って、悠日は部屋においてあった薙刀を手にとった。
柄は紫。刃の反対側には赤の房。そこについた鈴が、チリンと涼やかな音を立てる。
「もしかしたら、分かってしまうかもしれない……かしら?」
「あの者達はそこまで知らないでしょう。――ましてや、その刃では」
いつからいたのか、牡丹が悠日の独白へ返答する。
それに驚いた様子もなく、悠日は古びた布へと手をかけた。
布の内側、刃に巻かれたそれを丁寧に取れば、現れたのは何の変哲もない鉄の刃。
だが、これはある条件をもって、その様相を変える。
「また、厄介事に首を突っ込むおつもりですか?」
「正直、彼には昔から辟易していますからね。ちょっと嫌味を言いに、と思って。もちろん顔を出すつもりもないけれど」
だからいいでしょう? と懇願の瞳を向けられ、牡丹は大きくため息をつく。
江戸の一件の時と同じだ。この目は、絶対に諦めない目。
そして、牡丹が一番弱い目でもある。
「分かりました。……では、私は」
「あなたは待機。もし私のことで感付かれそうになったら、上手く繕っておいてね」
「まあ、そんなことだろうとは思いましたけど。…………どうぞお気をつけて」
そう言いながら牡丹が手渡したのは、いつぞやと同じ紺の被衣。
それに苦笑しながら、悠日はそれを頭に被る。
翻って落ちないよう、今日はただ被るというより巻く、という感じが正しいだろうか。
行ってきます、と笑った悠日は、そのままそこから姿を消した。