第十花 赤酸漿

「……それで、また待機、ですか」


 近藤の話というのは、将軍上洛にともなう二条城での警護の任の話だった。
 もちろん、佐幕派の新選組にとっては嬉しい話で、隊士全員が雄叫びをあげたのは言うまでもない。

 ――否、全員ではなかった。

 藤堂の様子がおかしいと千鶴が言っていたから気にしてみれば、確かにおかしい。

 何か悩んでいるような、寂しそうな。……江戸に行く前のあの明るさが鳴りを潜めてしまったかのような。

 そんな彼もまた、今回の出動には参加しなかった。
 他にも屯所待機の隊士達はいるが、幹部で残っているのは彼だけのはずだ。

 調子が悪いと言っていたが、調子が悪いのは体ではなく心なのではないかと悠日は推測している。

 そして、未だ信頼されていない悠日はもちろん屯所待機なのだが、彼女の言葉はそれに対しての愚痴ではない。


「土方さんも近藤さんも過保護だよねぇ。風邪気味って言ったって、咳なんてそうそう出ないのにさ」


 不満そうな表情で口をとがらせる沖田に、悠日は茶を差し出した。どうぞと渡せば、それを一気に飲み干す。

 同時に息をついた沖田から湯呑みを受け取った悠日は、苦笑しながら口を開いた。


「あれだけ咳き込んでいれば誰でも心配しますよ、総司さん」

「そうなんだけどさぁ。……まあ、でも」


 そう言って、沖田は悠日を引き寄せ、腕の中に閉じ込める。
 そうして、驚いて何事かと顔を上げた悠日と額を合わせ、にやりと笑った。


「君とこうやってできるんだから、土方さんには感謝しないといけないかな?」


 夕日に翡翠色がきらめく。
 それにドキリとして顔を赤く染め、悠日はどう反応していいか分からなくなった。

 だが、同時に光ったそこに込められたいたずらめいた光を感じてしまえば、一瞬離れかけた理性が戻ってくる。

 ……この人は、こういう状況でも変わらないのだろう、きっと。

 だが、悠日は今それに感謝した。


「…………それだけ元気なら、土方さんに出動をお勧めした方がよかったですね。今から牡丹に伝えに行かせましょうか? 本当は行きたかったんでしょうし」

「ひどいなぁ。僕は本心を言ってるのにさ」


 そう言って突き合せた額を離し、沖田は少しだけ残念そうな表情をした。
 少しだけ罪悪感を覚えながら、ここで流されれば終わりだというのは分かっているので悠日も必死である。

 流されてはいけない。これ以上距離を縮めてはいけない。
 ――感情で動くことは、許されない。

 それでもここにいたいと思う自分は、たぶん感情で動いてしまっているのだろう。
 だから、これ以上近づかないように。

 とはいえ、時が来るまで傍にいることを許してほしいと、希う自分がいるのを否定できなかった。

 ふと瞼を伏せれば、再びこつんと何かが額に当たる。
 同時に柔らかく細い髪の感触を感じ、悠日ははっとした。


「……悠日ちゃーん? 悠日ちゃん、気持ちどこかに飛ばしてない? 僕のこと忘れてるのかなー?」


 かなりご機嫌斜めのようである。それでもって今にも口づけされそうな距離。
 動揺しないようそれを抑えながら、悠日は沖田を軽く睨み付けた。


「……どういうからかいですか、それ。確かにちょっと考え事していましたけど……」


 しかも沖田の存在を少しでも遠く感じるようにと気持ちを遠くに飛ばしていたのも否定しないが、それは口にしない。

 したが最後、彼はきっと離してくれなくなる。


「目の前に僕がいること忘れてる? そういうことしてると……」

「……沖田さん、後ろ後ろ」


 こんなことしちゃうよ、と顎に手をかけた沖田に、悠日は苦笑しながら沖田の後ろを指さした。

 つい先ほどまで『総司さん』と呼んでくれていたそれと違う呼称に眉を寄せつつも背後に視線だけ向ければ、そこは短刀を振りかざした牡丹の姿があった。


「……姫に手を出すなと何度言えば分かる、沖田。即刻その手を離せ、けだもの」


 人間呼ばわりよりは進歩した……いやしかし、けだもの呼ばわりしているのだからそれもどうかと思いながら、それでも一応悠日が感心しているのとは反対に、沖田は肩をすくめて牡丹を振り返った。


「いいじゃない。僕達二人、相思相愛で通ってるんだし。僕が悠日ちゃんを好きなのも事実だし」


 それについては、悠日も否定しなかった。
 彼に直接告げたわけではない。誰かにそれを伝えたわけでもない。

 それでも、いつしか悠日の感情は彼に伝わっていたのか、彼は隠す様子も見せず悠日と相思相愛だと口にする。

 悠日がそれに苦笑しながら少し寂しそうな表情をしているのを視界に止め、牡丹は小さく息をついた。
 彼女もまた、悠日の気持ちに気づいている人物の一人だ。


「それが仮に事実だとしても、姫の意に沿わないのであればそういう行動は慎め」

「別に実際やろうとしたわけじゃないからいいでしょ? 未遂だよ、未遂」


 それくらいで怒らなくてもいいじゃんねぇ、と沖田が悠日に同意を求めるが、正直なところ悠日はそれに同意も否定もできず、ため息をつくしかなかった。


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