第十花 赤酸漿
あれから、山南は目を覚ましたものの、羅刹そのものの特徴でもある『昼に弱いこと』が隊務への支障となることから、本人の意志によって彼は表向き『死んだ』こととされた。
今までの羅刹と違い、精神が狂いに狂う、ということはなかったが、それでも羅刹そのものの存在は外に知られてはならないもの。彼一人が綻びとなるわけにもいかないのだ。
とは言え、彼本人は新選組にはなくてはならない存在であることも確かで、彼が生きていること、すなわち変若水のことを隠し通すため、『検討』で止まっていた屯所移転の話を本気で考えなければならなくなった。
特に今は、伊東派の動きで皆がピリピリしている。彼らにも、羅刹のことを知られるわけにもいかないのだから、彼らも必死だった。
そんな紆余曲折があり、新選組は半分押しかける勢いで西本願寺へ移転した。
西本願寺側からはかなりの非難の目を向けられるが、隊の者達が気にする様子は見られなかった。
屯所の敷地は前より格段に広くなり、隊士達もようやく雑魚寝から開放されて息をついているに違いない。
そんな隊士達と異なり、ただの居候の自分達は以前と変わらないだろうと思っていた分、【それ】についてはかなり驚いた。
「……まさか、一人一部屋もらえるなんてね……」
「私は牡丹にまで一人部屋があてがえられるとは思わなかったけれど……」
悠日の部屋にやってきた千鶴と茶を口にしていた悠日は、自身の部屋と悠日の部屋とを交互に見ながらの千鶴の言葉に苦笑を返す。
牡丹は、今まではどうやら木の上やら屋根裏やらで寝ていたらしい。
千鶴や悠日に迷惑はかけまいと、しかし傍を離れるなど言語道断という彼女の返答と、ただでさえ少ない部屋を減らすわけにもいかないという新選組側の事情の二点から彼女への部屋はないに等しかったのだ。
しかし、今回は女三人、それぞれ部屋を与えられた。
牡丹と主従関係にあることは皆知っていることだから、相部屋だろうと互いに思っていたのである。そんな予想を真っ向から否定するその部屋わりに、二人が目を見張ったのは言うまでもない。
……ちなみに、部屋をあてがえられても、その部屋が悠日の部屋から遠いという理由でほとんど部屋に居らず、これまで通りの生活をしているのだが、それに関しては誰にも言っていない。
「でも、どうして牡丹さんと悠日ちゃん、離されたのかな?」
「どうしてかしらね。……まあ、なんとなく察しはつくけれど」
最後の一言はかなり小さな声でのつぶやきで、千鶴には聞こえていない。
うーん、と眉を寄せた千鶴に苦笑しながら、悠日は容易に感づいたその理由を思い出す。
それだけ警戒されているということだろう。
もちろんあれだけで信用してもらおうと思ったわけではないが、あからさまではなかったのでそう気にはしていなかった。
今回の一件で、それは十分理解できたものの、それでも普段の態度は今までと変わりない。
――一部の人間を除いて。
それを思い出して小さくため息をついた悠日とほぼ同時に千鶴もため息をつく。
珍しいその様子に首を傾げた悠日は、その理由を躊躇いなく尋ねる。
「どうかしたの? まさかまた巡察で何か……」
こちらに連絡が来ないだけで何かあったのでは。
牡丹からはそんな話は聞いていないから大丈夫だろうと思いながら、悠日は心配そうな表情をする。
だが、千鶴は両手のひらを悠日へ向けて勢い良く首を横に振った。
「そういうわけじゃないんだけど……」
「そう? 巡察あたりから様子が変だから……。でも何か事件が起きたとかじゃないなら良かった」
ほっとした様子で胸をなでおろした悠日だが、内心では納得はいっておらず、心の中で眉を寄せた。
何もなかった、という表情ではないが、桝屋の一件のような新選組そのものに影響のあること、というわけではないらしい。
それでも、何かを考えながら何も言わない千鶴の様子に、悠日もまた考えるように視線を外へと移動させた。
風に流れる雲。近い場所では揺れる木々。
それを見て、今日の巡察の面子を思い出した悠日はようやく納得のいった表情をしたのだった。