第九花 暈持

 その日の夜。

 ふと気配を感じて、悠日は瞼を震わせた。
 隣で同じものを感じたのか、それとも小さな物音を聞き取ったのか、千鶴が起き上がる。

 そのまましばらく悠日を見つめていた千鶴だが、そっと布団を片付けると、着替えて部屋を出ていく。

 それを確認してから、悠日は目を開けた。
 彼女が眠れていないのは知っていたから、彼女がそれに気づいたことには納得していた。
 だが、彼女の感じたその気配は、今あまりかかわるべきではないと悠日も感じていた人物のものだ。


「……広間、か」


 感じた人の気配と……それとは別の、異質な気配。
 後者のそれは、人というよりも、物。ここにい始めてからかすかに感じることはあっても、ここまで近くで感じたのは初めてだった。

 胸に下がったそれを握りしめながら、悠日はごくごく小さな声で潜んでいる人物に声をかけた。


「牡丹」

「ここに」


 闇から溶け出るように出てきた牡丹に、悠日は真剣な瞳を向けた。


「広間にいるのは、山南さんね」

「はい。千鶴様もそちらにいらっしゃいます。……嫌な予感がいたしますが、いかがいたしましょうか?」


 指示を待つその言葉を聞いて、悠日は目を細めた。
 なんにせよ、止めなければならないのは変わらない。

 持ち出したその物の気配が示唆するのは、変貌もしくは死。
 その場に、仮にいなくても傍にいたのにそうなってしまったのでは、顔向けできないではないか。

 そう思って立ち上がったのと、千鶴の悲鳴が響いたのはほぼ同時だった。


「山南さん、やめてください! そんな危険なもの飲んじゃ……!」


 制止の声、しかしそれに、彼が従うとは思えない。
 そして、消えた異質な気配。同時に、人の気配が人のそれとは異なる者に変貌した。

 一つになってしまったことを感じ、悠日は小さく舌打ちをした。

 ……行動に移すのが、少し遅かった。

 果たして彼は、どうなるのか。
 響くうめき声。
 信じられないといわんばかりの千鶴の声。


 ――今やるべきことは、一つ。


 そう思った悠日の周りの空気が、唐突に変わった。

 同時に、髪が桜色に変化する。
 そして、瞳は紫苑へと。

 以前の菖蒲のそれと異なる瞳を見て、牡丹は恭しく頭を下げた。

 自身のその変化に驚くことなく、悠日は首に下がった首飾りを取り出した。

 小指の爪より一回りほど小さな瑠璃がたくさん連なった中に、親指の爪ほどの大きさの水晶――玻璃が三つ、ちょうど胸元に来る辺りに瑠璃を二つほど挟んで並んでいる。

 幼いころ、千鶴に見せた首飾りだ。これが、自分の素性を証明するものとなり、ここで生かしてもらえることとなったものだ。

 そして、先祖代々、長の家系に伝わる大切なものでもある。


璃鞘[りざや]


 その言葉に応じ、玻璃でできた珠の一つがふわりと宙に浮いた。
 薄紫の光をまといながら、蛍のごとく辺りを飛び始める。

 それを手で受けるように差し出せば、その上をふわりと停滞する。
 小さく深呼吸すると、悠日は真剣な瞳でその手を持ち上げた。


「お行き」


 その言葉と同時に、光は悠日のもとを離れた。
 そっと牡丹が障子に隙間を開ければ、そこから外に出ていく。


「……姫様、よろしいのですか」

「私本人が行くわけにはいかないでしょう。そもそもあの力の媒体は璃鞘よ。大丈夫でしょう」


 姿をさらすわけにはいかない。千鶴が出ていったのは、ある意味で救いだろう。

 もちろんそれは、危険を伴うものであるけれど。


「……間に合えばいいけど、ね」


 祈るように目を閉じた悠日のその言葉に、牡丹は静かにうなずいた。

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