第九花 暈持
山崎が去ってしばらくすると、千鶴が部屋に帰ってきた。
掃除をしてくれたことに礼を言うと、千鶴ははっとしてそれに首を振った。
何かを決心した瞳をしている彼女に、悠日は首を傾げる。
「……千鶴ちゃん、何かあった?」
「えっ、な、何が?」
「いつもと違ってなんて言うか……やる気満々というか、そんな感じだから」
そう口にすると、千鶴はかなり挙動不審な仕草で視線を泳がせる。
ああこれは何かやましいことがあるのだと理解すると、悠日は小さくため息をついた。
おそらくは、ついさっき自分が考えていたことと同じことを考えているのだろう。なんとなく察しがつく。
「もしかして、幹部の皆さんが伏せてる件について?」
そう尋ねれば、千鶴が勢い良く悠日を向いた。
遠回しな表現ながらもそれが何を指すか理解した千鶴は、なんでそれを知っているのかと言わんばかりの表情をしている。
かなり慌てているのを見て、悠日は苦笑するしかない。
「ちなみに言っておくけど、私、心は読めないよ?」
「読めたら怖いよ……」
「確かにそうだよねぇ」
クスクスと笑った悠日に、千鶴は辺りにひと気がないことを確認すると、小さな声で話し始めた。
「……土方さん達が言ってた薬を使えば、山南さんの怪我も治るんだよね……?」
「……あの表現だと、ね。でも、そんな万能薬、あるの? ……それに、あの言い草だと、何らかの問題があるみたいだし」
怪我が治る代償に理性が失われる。悠日は、そこまでも知っている。
仮に残ったとしても、血に触れれば理性は飛んでしまう、あれはそういう代物だ。
だがそれを知っているとは言えず、悠日は以前千鶴と聞いた中途半端なところで切られた話を踏まえて相槌を打つ。
「これでも一応医者の娘だし……なにかできないかなって思って」
「それで調べようと思ったの?」
「……うん」
あの時脅されたことは忘れているわけでないようだが、どうやらそれをものともしない度胸はあるらしい。
知れば命に関わると斎藤が釘を指していたのだが、どうやら彼女はそれを分かっていて行動しているようだ。
「幹部の人たちからは深入りするなって言われてたよね?」
「うっ……」
思わず詰まった千鶴に、悠日はでもこれで怯む子じゃないだろうなと思ったら、案の定だった。
「でも、なにか役に立てないかなって……」
頑固だ。顔に似合わず頑固だ。
たぶん、他人に何を言われようと簡単に諦めることはなかろう。
しかしその頑固さが、悠日は嫌いではない。
「……千鶴ちゃんは、どうしたいの?」
「新選組の人が使ってるのは、この八木邸と隣の前川邸……だよね」
「前川邸は隊士の人しかいないけどね」
「そんな邸に入るのは、ちょっとまずいかなぁって思って……」
ぜひその諦めを薬探索そのものに使って欲しかった悠日としては、今この場でそれを言いたかったが、彼女はやる気だ。たぶん制止を振り切るだろう。
「……で、八木邸を調べようと?」
「………………うん」
かなりの躊躇いの後、千鶴はそれに頷いた。
止めないでと告げるその瞳に、悠日は大きくため息をつく。
羅刹と呼ばれる者がいるのは前川邸だ。
とりあえずその選択肢が無くなったことには安堵を覚えたものの、八木邸を調べまわるのもまた危ないことこの上ない。
なにより、幹部の目がある。見つかったらどうなるかなど分かりきっているのに。
「でも、今はやめたほうがいいと思う。……伊東さんの件からこっち、皆さんピリピリしてるから」
「で、でも!」
「もう少し内情が落ち着いたら、やろう? その時は私も手伝うから」
もちろんそれが危険を伴う以上、牡丹は反対するだろう。しかし、千鶴と同じく気にならないわけではない。
自分に関わることならなおさらだ。
そんな悠日の申し出に、千鶴は目を見張った。
反対しかされていなかったから、そう言われるとは思ってもみなかったのだろう。
「今すぐでなくてもいずれ分かるかもしれないし。それでなくても、幹部の人たちも慎重になってる。そんな時に問題を起こしたら、役に立つどころか迷惑かけちゃうでしょう?」
「……うん、そうだね」
「だから、今はやめよう」
まるで子供に言い聞かせるような口ぶりで話す悠日の言葉には、どこか有無を言わせない響きがこもっている。
圧力をかけられているわけではないのに、反論できない何かがある。
そんな説得に、千鶴はようやく今は諦めてくれたのだった。