▼ 渡辺みのり
初めてだった。いや、すごかった。こんな思いをするのはませた少女漫画とか、作り物の中だけだと思っていた。まさか自分が同じような体験をするとは、夢にも思わなかった。
見慣れない天井を眺めながら、頭は働いていない。視界に映る情報を、そのまま享受しているだけの時間。清潔にされたシーツと毛布に挟まれて、秒針の音を聞いていた。
遠くからは微かにシャワーが落ちる水音がする。体が重くてどうにも動きたくなかったので、先に浴びるように勧めたのは私だったが、少し後悔している。まるでこれからコトが起きるかのように、脳みそが勝手に錯覚をし始めた。もう終わった後だというのに。性懲りもなく体の奥底は熱をはらみ始める。
数分前、あれだけ盛り上がっていたのに、まだ足りないのかよ。
自分の体ながら浅ましさに呆れる。深く息をついたら、乾燥で張り付く喉を自覚できた。
ベッドのサイドデスクに、飲みかけのお茶を置いていたはず。気怠い体を起こして、半分ほど減ったペットボトルに手を伸ばした。
「さむ」
下着しか身につけていないほぼ裸に近い様相で、布の隙間から抜け出すのは寒過ぎた。剥かれてから時間が経ち、すっかり持ち主の温もりを忘れてしまった衣服は、確かにソファーの背もたれにかけられている。いるが、これを着るよりも手取り早く暖を取る方法がある。
ペットボトルに伸ばした手は目的を無視し、脇にあるエアコンのリモコンを掴んだ。軽く短い音と共に、温風が肌に触れ始める。
「ごめん、寒かった?」
気配に全く気付かなかったが、みのりさんがお風呂を出てきたらしい。男性にしては長い髪をタオルで拭きながら、ベッドに腰を下ろした。
「途中で暑くなって、消しちゃったんだよね。気が利かなくてごめん」
「ああ、いや、」
そんなことはないですと声を出そうとした。乾燥したままの喉は言うことを聞いてはくれなかった。無情にも出るケホケホという空咳。
「大丈夫?」
みのりさんの手が背中をさすってくれた。お風呂上がりだから温かい。温もりを感じて安心するのと同時に、ブラジャーのホックに指がかかっているようにも思えて心臓には毒だった。
止まらない咳と格闘しながら、水分を求めてペットボトルを手に取る。蓋を開けて喉を潤そうとしたら。
「貸して」
みのりさんの温かくて大きい手がお茶を奪っていく。自然な動作で自らの口に含んだかと思えば、次の瞬間には顎を指で掬われ、唇も奪われる。ぬるくなった水分が口内へ流れ込んできて、何を考えることなく飲み込んでしまった。
何が起こったのか。いまいち状況を掴めないまま、やたらと近い距離にいるみのりさんを見つめる。
「……驚かせちゃったかな」
「いや……。なんか今日、初めての経験ばかりするなって」
「それはさ、俺からすると結構殺し文句だってこと、気付いてる?」
少し中身の減ったペットボトルも、濡れて重くなったタオルも、みのりさんは全てベッドの脇に放ってしまった。起き上がっていた背中は、再びシーツの上だ。
長く艶やかでまだ少し水気を帯びた髪の隙間から、みのりさんの瞳が見え隠れしている。もしかしてこれは巷で言う、『夜はまだ始まったばかり』というやつなのかもしれない。
240117