▼ あさぎりゲン
彼氏ができました、と嘘を吐いた。世間話を装いたくて、彼の部屋から出る直前に、背も向け、なるべくぼそりと言った。つもりだった。できれば聞こえて欲しくない気持ちがあったのかもしれない。
「本当に?」
おい。いつもみたいにジーマーで?って言えよ。
そんな、いつもの口調が崩れるほど動揺してくれているのだろうか。諦めたはずなのに、微かな心の弱さから期待が膨らんでしまった。このまま顔を見ずに立ち去るつもりだったのに。咄嗟に振り向いてしまった時には、もう遅い。
しおらしい表情なんて、欠片も無い。ゲンは満面の笑みだった。
「…なぁんて、言うとでも思った?」
くつろいでいた姿勢から、すぐに私の傍まで近付いてくる。花の香りがした。
「そんなこと言っちゃうんだ?」
何があるのか。視界からは見えない私の首筋にゲンの指が伸びてきた。触れて、なぞられる。触れられているのは首なのに、背筋がくすぐったかった。
「なら俺も報告しなきゃね? 俺も、彼女できたよ」
私にゆっくり触れながら彼の口から出る名前は、仲の良い女友達の名前。過去の贅沢を知っている我々には生きづらい石世界で、共に支え合ってきた千空の同級生だというあの子。
「なんで。いつの間に仲良くなったの?」
自分から離れていこうとしたのに。彼が別の女のものになるのは。嫌だ。とても嫌。
「……はぁ。どーしてそんな顔するのに、嘘なんて吐いちゃうかなぁ」
俺がいじめてるみたいじゃない。と。言われた後には手首を拘束されキスをされた。
「ね。また、お話し合いが必要だね?」
誘われる。数分前まで共にいた場所に。彼の言葉も嘘だと知ったのは、この数時間後だった。
230517