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▼ 七海龍水

 窓硝子を叩くぽつぽつという音が止んで窓を開けると、あの日と同じ雨のにおいがした。
 いや雨の匂いなんていつでも同じだろ。脳が勝手に美化して記憶してる過去の思い出を引っ張り出すトリガーが、この匂いなだけで。と同時に、この匂いを嗅ぐ度に思い出す。幼い頃に遊んだゲームの中で可愛らしいキャラクターたちが「空気の匂いを嗅ぐことでこれから雨が降るかどうかわかるようになるんだよ」という言葉。遊んでいた当時はピンと来なかったが、大人になった今ならわかる。雨の匂いは、確かに存在している。
 風が想定よりも肌寒くて、天気を確認するために開けた窓はすぐに閉めた。鍵をかけると、部屋の空気が密閉されたような音がする。

「龍水、雨止んだよ」

 久々の丸一日オフだという大男は、先ほどからずっと私の背中から離れない。雨が止んだら出かけようと意気込んでいたのに、待っている間に大きな体を私に擦り寄らせ、巨体で上から包むように腕をまわされなかなか身動きが取りづらい体勢になってしまった。

「おい。寝てんの?」

 声をかけながら頭に手を伸ばした。何も手入れをしていないと言うに指通りが心地良い金糸が指の隙間を滑る。頭を撫でられたと勘違いしたのか、私の首周りにまとわりつく筋肉質な腕はより一層力が込められた。

「ねぇ。出かけないのかって、聞いてん」

 厚い掌が左頬を包んだかと思った頃には、顔は右方向へ回され、唇を塞がれた。勿論、相手の唇で。熱い。が柔らかい。龍水もその柔らかさを堪能しているのか、何度も短く啄まれた。
 こら。話してる途中でしょうが。多少の怒りを込めて薄目で睨んだ。つもりだった。なのに、眉間に皺を寄せてあまりにも必死に私の唇を貪る龍水の姿が、目に写ってしまったから。
 振り払おうと思えばできた。逃さないとばかりに未だ右頬を包む大きな手も、強引な力が込められているわけではない。なのに、お前がそんな表情をしていたら、もう降参だ。
 仕方がないなぁという意味で鼻から溜め息をついたつもりだったが、残念なことに息と共に甘ったるい媚びたような声も漏れてしまった。頬が熱くなる。
 その声はきちんと龍水の耳にも届いてしまったらしい。拘束を解かれた次の瞬間には体の向きを直され、正面から抱きしめる形で口付けが降ってきた。
 開けろ、と言わんばかりに閉じられた唇の隙間をじんわり舌でなぞられた。いつの間にか閉じてしまっていた瞼を開いて様子を伺ったら、ギラついた瞳でじっと見つめる龍水が目の前にいた。捕食者の瞳。これまであらゆる強者を屈服させ、自らの手中に収めてきた男。なんて表情してんだ。再び目を閉じるのに時間はかからなかった。
 器用な舌に咥内が蹂躙される。平時ならもっと優しかった。こちらの反応を逐一確認するかのようになぶられたはずだ。なのに、今はこんなにも荒々しい。私の様子よりも、己がどうしたいかを優先したいらしい。そんな大きくもない私の咥内は彼の肉厚な舌と体液ですぐにいっぱいになった。
 発熱してるかのように熱いから、同じくじゅくじゅくに熱された唾液が口端をつたる感覚もわからなかった。龍水が一滴もこぼさないと言いたげに舐めとってやっと自覚したぐらいだ。
 息が苦しい。のに、体内の柔らかい部分を問答無用に刺激されてあられもない声は止まらない。やめて欲しいわけではない。嫌では決してない。それでも彼の厚い胸板に縋って抗おうとするのは辞められなかった。

「……幻滅したか?」

 咥内どころか脳内までもぐちゃぐちゃに侵食してきた頃、ようやく離れた彼の口から出た一言がこれだ。
 なかなか落ち着かない息を懸命に整えている様子を、その大きく獰猛な瞳でじっと捕捉している様子は、どう見ても反省だとか後悔だとかをしているようには見えなかった。


230507



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