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▼ スタンリー・スナイダー

※原作最終回後のネタバレ要素が数ミリ程度ございます。





 今日もポストの中は空だった。そりゃそうだ。


 私がこうもポストの中身を気にするのには訳がある。
 睡眠をとっていたにしても随分と深く意識が沈んでいた。もう二度と意識を戻せないのではとすら思っていたのに、目覚めは案外呆気ないものだった。
 見たこともない色の光に包まれたのが最後の記憶だ。その光線により人類は石化。世界は三千七百年も時を進めた。という事実を知ることになったのも、目覚めたあとである。
 数多の要因が重なった結果、目覚められたという数少ない先人たちの偉業により、およそ十年で世界を最低限復興し大元の原因を突き止めたという。
 そんなもの、モブの私には到底考えられない出来事だ。まるで絵空事のような。
 起きてすぐに身体を調べられ健康優良であることに太鼓判が押されるが否や、職業診断テストなるものを受けさせられた。
 世界は復興へ軌道を乗せたものの、未だ石化前の文明にも人口にも程遠い。なので、石化を解き心身ともに無事な者から、随時適正にあった役割という名の職務が割り振られた。
 住居もある程度の生活も保証する代わりに働け。そんな単純な話だった。
 生活の基盤を戻すために、自分にできることならそりゃ進んでやるさ。とは思っていた。比較的、己のことは善良な人間だと自負している。
 だけどね、だけどさ。
 旧世界の頃、郵便局勤務の経験があるとわかるや否や、やれ新たな住所を振り分けろだの、戸籍ないし住民票と連帯しろだの、対個人への郵便物配送の物流を作れだの、そんなんできるわけなくない? 餅は餅屋って言葉知らんのか?


 市役所勤めだったという壮年男性や、配達業務でバイクを乗り回していたお兄さん、比較的現在の日本首都?と呼べるか怪しいほぼ自然に囲まれている元東京近郊の地理に詳しい現地の人と共に、鮮明かつ近距離の航空写真を切り貼りし区画を定め、四苦八苦しながようやく住所なるものを作りだし、公布。氏名生年月日石化歴性別血縁との俗柄を申告させ、住所と結びつけ、住民票の復活。全て紙に手書きというアナログ過ぎる方法で町一つの住民票を作り上げるのは本当に骨が折れた。もう一生文字書きたくない。早くパソコンを一般普及させて欲しい。
 そんなこんなで、私が目覚めて一年が経った頃、ようやく住宅地区が住宅らしい機能を取り戻しつつあった。
 そこで、ようやく、私ら住所及び住民票作成チームの出勤地の横に、念願のポストが作られた。緑と茶色の自然の中ではめっぽうに目立つ赤。慣れ親しんだ郵便局の地図記号を額に掲げ、石化時代初のポストがここに誕生したのだ。


 ところがどっこい。冒頭に戻る。
 物流に乗せるほどの宅配機能もなければ運ぶ乗り物と呼ばれるものすら限られている現在。それを誰がどうやって運ぶ? そしてそもそも何を運ぶというのか。
 個人が個人に対して届ける郵便物なんてたかが知れてる。多少の連絡であれば、公共電話を繋げば一応遠くの地へとの連絡はできた。遠い地に住む親戚からの連絡があればの話だが。
 平たく言えば、一般開放したポストに、手紙などを入れる人はいなかった。紙を入手するのにだって、昔ほどの安値ではないのだから当然の結果だ。
 でもさぁ。職人の手を借りて作ったポストに、早くものが入って欲しい親心ってあるじゃん?
 だから私は、今日もポストの中身を見て落胆していた。今日もポストの中は空だった。


「ん」

 げ。また来た。と眉を顰めて見上げても、毛の一本一本まで美しいこの男はどこ吹く風で煙草をふかしている。

「随分熱烈な歓迎じゃん」
「どこが。仕事中なんで帰って。構ってる暇ないんで」
「日本人は真面目だな」

 アメリカの元軍人現パイロットだというスタンリー・スナイダーという男は、なぜか私を構う。構い倒す。所用で日本を訪れるのは結構だが、どうしてそこまで私に執着されるのかはわからなかった。こちとらモブだぞ。
 今日も今日とて、私がお昼を食べようと職場の母家から出た途端これだ。まるで私が出てくるのを待っていたかのように、長い体躯を壁にしなだりかけながらこちらに視線を向けるのだ。

「ここ禁煙なんですけど」
「外じゃん。気にすんな」

 これ見よがしに煙をこちらに吹きかけてくる。やめろ。けむい。意味わかってやってんのかそれ。
 無視だ無視。さっさとご飯食べて住民票の整理に戻りたいんだ私は。
 未だ顔にまとわりついているかのように錯覚する煙を払うように大袈裟に手で仰いだ。そのままスタンリーには一瞥もくれず、お弁当を持って足早に歩く。

「んな邪険にすんなよ。待てって」

 こちらがいくら必死に早歩きをしたって、彼のコンパスの前では無意味だ。腹立つ。

「な。返事。まだ待たなきゃ駄目?」
「……ごめんなさいね。イギリスに留学してたからアメリカ英語はさっぱりなの」
「嘘つけ。都合の良い耳してんね」

 余裕の並走で頭上から聴き心地の良い声がする。

「まあいーよ。ぜってー返事貰える方法、教えて貰ったかんね」

 そう言うやいなや近くにいた美しい獣がさっと離れ、その隣には私ではなくポストが。
 彼の手には封筒。封筒だ。どこから出したのか、人差し指と中指に挟まれた手紙は。

「入れるぜ。これであんたのハジメテの男だろ?」

 言い方。言い方どうにかしろ馬鹿。
 スコン、と音がなる頃、彼の指から封筒は消えていた。

「で、これが届いたら、あんたは俺に返事書くしかない。使いたいもんな、これ」

 指の第二関節を背にしてコンコンとポストを叩く。今ほどポストが忌々しく思えたことはない。
 なんなんだこの男は。ある日ふらっと現れて、ろくに英語しか話せないからと、イギリス留学経験のある私が通訳として駆り出されて色々会話するようになって。
 世界中飛び回る傍らで日本のとある研究チームに所用があるからと立ち寄っては、ここにも顔を出して。そんなの、来たら普通に話すじゃん。相手は私しか会話できないから放っておけないじゃん。
 目の保養だとは思ってたさ。比較的国外からの来訪も少なくないから外国人ってだけで目を引くわけじゃない魅力があると思ってたさ。でもさ。私は、なんの変哲もないんだよ。モブなんだよ。

「…………なんで、そんな、私に執着するんだよ」

 心の奥底から出た本心は、英語の皮を被ることをすっかり忘れて、日本語だった。
 通じてるわけがない。相手が英語しか話せないことはわかっている。なのに。

「そんなん、愛してるからに決まってんじゃん。ダーリン?」


230425



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