『バイバイ』



って、誰かの声が聞こえた。




夢すら見ない深い眠りから目を覚ますと、私は当てられた自分の部屋に居た。
「・・・・・・」
頭がぼうっとする。
「わた、し・・・」
そこで、途端に頭が覚醒する。

グレイさんが左胸にナイフを突き立てる映像が脳裏にはっきりと思い出される。

「グレイさん・・・」

怖い。寒くて寒くて、体が震える。
部屋を飛び出して、走る。

『四季』

ドアの声が私を呼ぶ。

「煩い・・・」

『帰っておいで』

私は立ち止まって、ドアの部屋がある廊下に向かって、大声で叫ぶ。


「私は帰らない!ずっとここに居たいの!!」


はあはあと肩で息をする。
気付けば私を呼ぶ声は何処からもしなくなっている。
ドアの部屋に背を向ける。

『本当に後悔しない?』

「しない、よ」

声を振り切って私はまた走る。
見慣れた廊下と、見慣れたドア。
ナイトメアさんの部屋。

走っている勢いのままドアを開ける。

「四季・・・?」
驚いた顔をしたグレイさんと、全部わかりきっているような顔をしたナイトメアさん。
よかった、よかった・・・。
私が今居るここは、クローバーの塔だ。
グレイさんも、無事だ。

それを理解した瞬間、体から力が抜けて床にへたり込む。

「よ・・・よかっ・・・」

ぼろぼろ、ぼろぼろ。
後から後から涙が溢れてくる。
慌てた様子でグレイさんが私に駆け寄ってくれる。

涙でぐしゃぐしゃになった視界の中で、グレイさんが困ったような顔をしている。

グレイさんもナイトメアさんも居る。
私が大好きなクローバーの塔だ。
そう思うと、涙が止まらない。

私は、この世界が大好きなんだ。

「君に大きな怪我がなくてよかったよ」
「ナイトメア、さん」

グレイさんに支えられて立ち上がり、ナイトメアさんを見ると・・・いつものように微笑んでいる。

「わ、私・・・」
「ああ、君からの謝罪は要らない。四季が謝罪するとなると私はどれだけ君に謝らなければならなくなる?」

そう言って肩をすくめるナイトメアさんは、私が気にしなくて良いように言ってくれているんだろう。

だから、私は精一杯笑って、有り難うと感謝の言葉を口にする。
たくさん助けてもらって、こうやって好きで居てくれる。
きっとそれは奇跡みたいなもので、どれだけ感謝したって伝えきれない。

「私、この世界が、クローバーの塔が大好きです」

不思議な事も、理不尽な事も、大変な事もあって。
それでも、私が大好きな人が居る世界。

「これからもこの世界に残りたいから・・・だから、よろしくお願いします」
「四季は・・・それでいいのか?」

グレイさんが心配の色を目に浮かべる。

「はい。私もこの世界で大切なものがたくさん出来たんです。残るという選択は・・・私の意思です」
「私はもちろん構わないさ。四季はもう塔の大事な一員だからな」

そう言ってくれるナイトメアさんは、いつでも優しい。

グレイさんは・・・。
何処かほっとしたような表情をしているのは気のせいじゃない、って思ってもいいのかな。

「四季」
「はい」

グレイさんがふっと微笑む。
「おかえり」


何でだろう、そんな当たり前の言葉が泣きたいくらいに嬉しい。

「はい!」

グレイさんが握ってくれた手をぎゅうっと握り返す。
私は今此処に居る。
それは変わりのない事実。


それでいいんだよ、って、誰かが後押ししてくれる。

仕事があるナイトメアさんの邪魔はそれ以上出来なくてグレイさんと一緒に部屋を出る。
「あの・・・グレイさん。怪我は・・・」
見ていると平気そうに見えるけれど、撃たれた上にナイフで刺した傷がある。
「ああ、時間帯も変わったからもう治っている。四季が気にする事はないよ」
そう言ってグレイさんは笑ってくれる。

「・・・グレイさんが、自分を刺したとき・・・凄く辛かったです」

グレイさんが居なくなるなんて考えたくなくて、怖かった。
大切な人が居なくなるなんて、絶対に嫌だ。

「言っただろう。君は替えが効かない存在なんだ。俺とは違う」

伝わらないな。
私とグレイさんは心臓が違うから、命の価値も違うのかもしれない。
でも、私にとってのグレイさんは、貴方だけなのに。

「だが・・・」

グレイさんは立ち止まり、私の頭を撫でる。

「四季にそんな顔をされるのは・・・辛いな」
「酷い顔してますか?」

きっと、してる。

「君の命と違って、俺たちの命は軽いんだ」
「・・・・・・」
そんな事無いのに、それを上手く伝えられない。
スカートの裾を握って、俯く。

「ただ・・・俺が死んだら、君が他のヤツの所に行くのは耐えられないな」

「グレイ、さん?」

のろのろと顔を上げると、グレイさんが微笑んでいるのが見えた。
ぐいっと軽く腕を引かれて、グレイさんの腕の中にすっぽりと収まる。

「四季」
「・・・はい」

「愛している」

耳元で囁かれた言葉が抜けていく。
「え・・・?はい?」
あいしている。あいして・・・。
ようやく頭が意味を理解してくれる。
「俺は君が思うほど大人じゃないんだ。君が・・・何処かに行くくらいなら縛り付けてでも手元に置いておきたい。そんな風に考える男だ」
至近距離で見つめられて視界がぼやける。

ああ、グレイさんだ。
私を見つめるこの人は、私が愛しているグレイさん。

「縛り付けなくたって、私はここに居ますよ」

グレイさんの背中に腕を回す。
「グレイさんが死んでしまったら何処かに行っちゃうかもしれないですけどね」
「それは困る。・・・なら、そう簡単には死ねないな」
グレイさんが苦笑を浮かべ、それから私の頭に手を回した。

初めて交わすキスは、苦いタバコの味がした。




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