■■■
こんこんとノックをするといつものようにナイトメアさんから入室の許可が下りる。
「失礼しま・・・っ!」
当たり前だけれどグレイさんも居て、あの夜の事を思い出してびくりとする。
ナイトメアさんが私とグレイさんを交互に見て、なるほど、みたいな顔をする。
「こ、これ!書類持ってきました!」
何だか急に恥ずかしくなってきて、私は書類を机に無造作に置く。
「よし、休憩にしよう」
「行き成りですね」
いいんですか?とグレイさんを見るとグレイさんも頷いてるから・・・いいのかな?
「俺はまだ仕事がありますので失礼します」
そうなんだ・・・ちょっと残念。
グレイさんが部屋を出て行くと、ナイトメアさんがニヤニヤとした笑いを浮かべる。
「う・・・何ですかその顔」
「いや、君がグレイに、ねぇ」
うう、いたたまれない。
けれど、ナイトメアさんはふいに真剣な表情になる。
「これは前にアリスにも言ったことだが、人でも物でも何でも良い、もっと好きになるといい」
そして整った顔に穏やかな笑みを浮かべる。
「四季が好きになってくれると私も嬉しいからね」
「私、ナイトメアさんの事好きですよ」
そしてこの世界が、クローバーの塔が。
「アリスといい君といい、私が怖いとは思わないのか?」
「・・・正直一番最初に心を読まれたときには怖かったです」
ナイトメアさんに隠し事は出来ない。
だから私は正直に話す。
「でも、私ナイトメアさんがいい人だって知ってます。みんながナイトメアさんを嫌ってても、私はナイトメアさんが好きです」
よく脱走してみんなを困らせて、でも何処か憎めなくて。
私をいつも気にかけてくれて。
「ふぅ、君には本当に敵わないな」
ナイトメアさんはそう言うと椅子の背もたれに体を預ける。
「さてと、本題に入ろう。その前にコーヒーを淹れるか」
「ですね」
コーヒーを淹れ、私にソファに座るように促すとナイトメアさんが口を開く。
「・・・本題?」
一体何の話なんだろう。
「いや、たいした話じゃないんだ。四季が何かを思い出せたのならそれを聞きたいと思ってね」
「・・・何か」
私を呼んだ人。
「・・・ユーキ。私を、この世界に呼んだ人の名前、なんです」
でも誰なのかがさっぱり分からない。
知っている。知っているという事は分かっても、誰なのかを知らない。
自分の記憶が酷く曖昧で頼りない物に思える。
「・・・ユーキ、か」
「ナイトメアさん、知ってますか?」
「いや、すまないな」
申し訳なさそうに微笑むナイトメアさんに私は首を横に振る。
それから、誰かに優しくされる事が久しぶりだと思った事も話して、
「・・・エースさんに言われたんですけど、もしかしたら私・・・ドアの声を聞いたのかもしれません」
「ドアの声、か」
ナイトメアさんは考え込み、言葉を選んでいるようだ。
「君は、何処か別の場所へ行きたいか?」
「・・・別の、場所?」
ざっくりとしすぎていて分からない。
「・・・分からないです。それに、私・・・行ける場所がないです」
例えば元の世界。
どんな家に住んでいた、どんな学校に通っていた。
そんなことは分かるのに家族が思い出せない。
私が元の世界へ行きたいと思っても、きっと行けない。
だって、元の世界が分からないから。
「あのドアは開けた人間が一番行きたい場所へと繋がっている」
「・・・・・・」
手の中のカップで波紋が広がる。
「いつか君が行きたい場所がこの塔になればいい」
「―――っ」
それは、この世界を選ぶという事。
無くしかけているものを全て捨てて、新しい物を手に入れる。
・・・でも、それはそうだ。
新しい物を手に入れる為には古い物を捨てなければならない。
私にはいつか、選択しなくてはならないときが来るんだと思う。
その時私はどっちを選ぶんだろう。
ぼんやりと何処か他人事みたいに思う。
視線を下ろすと、泣きそうな顔をした自分と目が合って情けなくなる。
「情けなくなんかないさ。四季はいつも一生懸命にやっている」
いつの間に近づいてきていたのか、ナイトメアさんが私の頭をぽんぽんと撫でる。
グレイさんとは違うけれど、グレイさんと同じ私を労る気持ちが伝わってくる撫で方。
「それなら君が居たいと思える塔にしないとな」
「なら、仕事ちゃんとやってください」
へにゃりと、笑う。
私はこの人に、この人達に好かれている。
少なくとも私はこの塔に居てもいいんだと、そう思わせてくれる。
「ぐ・・・その話はいいだろう。後ででも」
「もう、いつもそうなんですから」
そう、いつものやりとり。
いつの間にかそれすら【いつも】と言えるくらいには私はこの世界に馴染んでいる。
私は、選ばなくちゃいけないんだ。