『あれ、精市、サーク……』
「俺とのサークルより他の男とデートか」
『はっ? 違うっ、カズヤさんはご近所のおにっ』
「ふうん、カズヤさん、ね。随分と親しいみたいだね。そんなに頬緩ませちゃってさ」
『違うっ、精市っ、話聞いてよっ』
「何を? 彼氏のサークルに行くよりも大切な密会だったんだろ? 別にまだ話しとけばよかったじゃないか」
『いい加減にしてよ精市っ』


叫んだ後でそこが大通りだったことを思い出して小さく息を潜める。そんな私の様子を見た精市は、一つ息を落とすと私に背を向けてスタスタと歩き出した。頭の中がとにかくパニックになって、どうしよう、どうしようが繰り返される。精市に追いつかないといけないのに足が動かない。ただ頬にぼろぼろと涙が流れていく。やだ。行かないでよ。


『せい、っ、精市っ』


振り返ってくれない。表情さえ分からない。ただ蒼いウェーブのかかった頭がどんどんと人ごみの中に消えていく。やだ、なんで動けないの。嗚呼、きっと怖いんだ追いかけて、拒否されることが怖いんだ。でも、このまま動かないのはやだ。私は必死に体を動かして、精市の腕を掴む。その腕が、私を。
払う。


『っ、せっ……』
「別に怒ってない。ただ、現実を知って驚いてはいるけどね」
『違うっ、ねえ、私の話聞いてよっ、カズヤさんとは偶然そこで会っただけでっ、私はっ』

「いいよ、そんなに必死になることなんてない。渚がテニスのサークルに入るのを迷っていたのもそういうことなんだろ」
『待って。待ってよ』
「俺に無理に合わせたくないならそう言えばいい。俺に縛られたくないならそう言えばいい。渚にとってそれが足枷になるのなら俺にかまう必要もない」
『違う、違うよ、精市っ、私がサークルに入るのを迷ってるのはっ』


迷ってるのは、……精市の隣に立つあの子を見たくないから。
その子が私以上に、私の知らない精市の世界を知っているなんて、嫌だから。
そんなこと言えない。そんな女々しいこと言えない。だからそこで口を閉じると精市は「ほら、答えられないんだろ」と小さくぼやいた。違う。違う、けど、違うと言えない。
ダメだ。私、何も言うことなんて出来ない、なんて。
俯いていた頬に雫がぼたぼたと伝い、地面が濡れていく。周囲に人がいるのに、そんなのお構いなしに流れる涙に自分でもパニックに陥る。深く息を吐く音が聞こえて、びくりと体が揺れた。


「……もういいよ」
『え……』


精市の顔を見る。初めて見たようなその顔。今まで一度も見せたことがないようなその顔。


「渚に俺を押し付けすぎたみたいだね。だから、もういいよ」
『せ、いいち、ど、いうこ、と』
「俺のことなんて気にせずに君は君のしたいことをすればいいってことだよ」


これは前から言おうと思ってたんだ。
そう付け足した精市は私の顔を見てまた一つ息を落とす。そんな精市の顔を見て私はまた涙を落とす。前から思ってたってどういうこと。それって距離を置きたいってことなんでしょ? 前から私と距離をおきたいって思ってたってこと?


『な、んでよ。なんで私の言うこと信じてくれないの』
「信じてないわけじゃないよ。ただ、このまま俺と君がいてもお互いにとってプラスにならないと言っているだけで」
『カズヤさん、と会ったから? それともサークルに入らないから? ねえ、っ、そんなの勝手過ぎるよっ! 可笑しいでしょっ、ねえっ!』
「……じゃあ、渚はどうしたいの」


ひたりと目線が私をとらえる。
真剣な瞳。やだ。やだよ。ついこの間、向けてくれた優しい瞳なんかじゃない。私のことを見透かしてしまいそうなその視線。私のことを、地の底まで落とし行くその目線。それに今まで私がどれほど優しく温かい愛情に包まれていたかを知った。今の精市の瞳に映っている私は、ひどく愚かだ。嗚呼、精市の心が、遠い。
気がつけば、口が動いていた。


「……いいよ、もう。私も精市の気持ち分かったから、もういい」


そうなんでしょ。そういうことなんでしょ。私なんかもうどうでもいいってことなんでしょ? やだ。こんなこと思いたくないのに、もう止まらない。精市は、もう遠い。


『もう、いいよ』


私はそれだけ言って今度は自分から背を向けた。
やだ、終わりたくないと叫ぶ心を無視して。
私は、彼のことを振り返ることもせずに歩き出した。





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