◇ポイントは眼鏡

『いい若っ? よく聞いてねっ』


部室へ向かう途中の道で意気揚々と俺の肩を掴んできた久木先輩は、今日も相変わらずウザいくらいに元気だ。一応この人の名誉のために言っておくが、この人は、見る分には綺麗な人だ。さらさらとした黒髪は、誰もが一回は振り返るくらいだし、焼けていない肌は、遠くまで透き通ってしまいそうだ。先輩の美貌、……なんだかそう言うと少し抵抗があるが、この人の見栄えは最高だ。つまり問題はそう中身。……中身、は。



『若と眼鏡ってすごく萌えるポイントなのっ! あ、言っとくけどね、今言った萌えっていうのは、……』

「くさかんむり、のモエ、ですか」

『そうっ! 偉い若っ! もう大好きっ! 最高っ! それでこそよっ』



もう、俺はどうしてしまったんだろうか。萌え、なんて言葉日常生活でどのように使用するのか俺には全く理解できない。というよりも、理解したくない。ただ、確実に日に日に俺の中の常識が破壊されていっているのは確かだ。……もう、俺が俺じゃなくなりそうだ。「もう、若っ、話はここからよ」なんて意気揚々と久木先輩は、少し唇を突き出して俺の頬をその人差し指で押してきた。
普通の男なら、彼女のこんな可愛い姿には反応してしまいそうだが、いかんせん。俺の彼女は例外だ。


『とにかく、眼鏡よっ! 普段は眼鏡していておとなしい子が、眼鏡とったら急に鬼畜になるのっ! もう最高っ! まあ、鬼畜っていったらジロー君も怒ったら鬼畜よね。でもちょっと違うかな。そうねえ……、そうだわ、立海の幸村君とか、それに青学の不二君とかがそれね』

「……なんでそこでその人たちが出てくるんですか」

『あ、もしかして妬いた? 若かーわいいー』

「どこをどう聞いたらそうなるんですか!」

『可愛いから許しますっ。それでね、眼鏡の話なんだけどね……』



あああ。もう、この人は日本語が通じない。いや、前から知ってたけれども。とりあえず、興奮しきっている久木先輩の言いたいことは「眼鏡」についての話題らしい。どうせ、また変な店に行って、変な本を買ってきたに違いない。そして、その中に眼鏡の男が掲載されていて、という具合だろう。「彼女のことをもっと知りたいというのが彼氏の本音だ」というのを世間的には言うらしいが、俺は逆だ。これ以上、余計な知識を入れたくない。俺の頭には、テニス以外の余計な知識が多すぎる。

というよりも、早く帰りたいんだが。まあ、正直に言うと先輩は、俺がテニスをしたいという時には、俺を手放してくれる。そこはさすがマネージャー、と思うのだが、それ以外の時間を全て俺はこの人に使っている気がする。……というか使ってる。
俺のプライベートなどお構いも成しに久木先輩は、俺の所へ来るし、下手をすれば俺の家まで押しかけてきそうな勢いだ。それを避けるために、未だ俺の自宅は教えていない。家など知られたら、俺の命、そして貞操の危機だ。

そんな俺の気も知らず、先輩は部室の扉の前まで行くと、がちゃりとドアノブを回し……。


『それで、若……今回は……じゃーん』



扉の向こうにいたのは、忍足さんだった。なるほど。だから眼鏡か。



「……じゃなくて。なにしてるんです忍足さん。もう部活終わって1時間はたちますよ」

「そやなぁ。けど、姫さんに頼まれたら断れんからなぁ」

「馬鹿ですか貴方は」



とりあえず、今回の相手は忍足さんらしい。って、相手ってなんだ。そもそも、この人は俺の彼女なんじゃないのか。
なにが楽しくて俺が他の男と一緒にいるところを見てにやにやするか皆目検討がつかない。というよりも、俺に男を好きになる趣味はない。



「で……面倒なんで早く帰りたいんですけど」

『ふふん、そうはさせないわよ』



ああ、この人は絶対に何かを企んでいる。どうせくだらない事なんだろうけど。もう、慣れてしまった自分に溜息をついた時、不意に視界が変わった。「ああ、日吉。堪忍な」その声がしたと思ったら、俺の眼球の前に薄い板。
どうやら、忍足さんが眼鏡を俺にかけてきたらしい。……というか、俺はもともとコンタクトなのだから、自宅には自分専用の眼鏡を持っているのだけど。余計面倒になるから、それは黙っておこう。そして、忍足さんの侘びの言葉に続いて聞こえたのはカメラのシャッター音。
一体久木先輩は俺の写真などを撮って何をするつもりだ。どうせ、ろくなことじゃない。
かといって、無理に反抗すればそれはそれで先輩の変な悪戯心を煽ってしまうことは、付き合って3日目に学習した。

だから、こういう時はそのままにしておくのが一番だ。




『きゃー、やばいっ。眼鏡萌えっ!やっぱり私の若は最高よねっ! ね、忍足君っ』

「そうやな。男前やなぁ」

『きゃーーーーっ、忍足君が若を見る目がエロイっ! 忍足君もっと若に近づいてっ』



いや、この人はいつもこんな目をしていると俺は思うけど。近づいてきた忍足さんは、馴れ馴れしく肩を組んでこようとしたから、思いっきり跳ね除けてやった。
シャッター音がそこで連射されていたのは、もう知った事じゃない。忍足さんも忍足さんだ。なんで、俺に眼鏡を貸すためだけに一時間も待っていたのか。
たしか久木先輩に頼まれたから残っていた、と言っていた。
……それはそれで……。



『きゃあ、若っ、その不機嫌顔いいわっ! いかにも『無理矢理やらされてる』感が出てて最高っ! この写真は焼き増し決定ね』

「な、なんでですか」

『決まってるでしょ!保存用と、観賞用と、実用用』

「………じ、じつ……」



実用って、この人本当におかしいんじゃないか。写真を実用する人なんて生まれてこのかた聞いたこと無い。まあ、この人の存在自体俺にとっては未確認生物と同じくらい奇妙に思えるのだけれども。
そんなことを考えているうちに、気付けば溜息が零れていた。
早く帰りたい。というよりも、俺はテニスをしに来ているのだけれども、最近ではなんだかこの人のおもちゃになりに来ている気がして、げんなりとした時。



「愛されとるなあ、日吉は」

「…………どこをどう見たらそうなるんですか」

「ええやん。こんな可愛い子と付き合えるんやし。それに、久木ちゃんめっちゃ足がきれ……」

「人の彼女をなんて目で見てるんですか」

「なんや、妬きもちか?」



にやにやしている忍足さんの背中越しに、撮った写真を見てうっとりしたり、きゃあきゃあと一人で盛り上がっている久木先輩が見えた。俺の写真如きで、そんなに笑顔を無駄に振りまかなくてもいいというのに。



「……俺がそんなものをあの人に思うわけ無いでしょ」

「素直やないなぁ」

『若っ! 忍足君っ! 最後一枚っ』



じゃあ、思いっきり抱き合ってみて! と声を大きくして叫ぶ先輩に、思わずテニスボールをぶん投げてやろうかとさえ思ったが、俺はそこまで非人道的ではない。
結局、俺が嫌がっていると、忍足さんが、面白そうに抱きついてきて、俺が必至に抵抗する一枚が後日先輩の手帳に入っていたのを見たのは、もう忘れてしまおう。



「顔、にやけてますよ」

『もう、若ひどーい!でも、若やっぱりかっこいいよ』



まぶしい笑顔をこぼした久木先輩が、俺の目に飛び込んでくる。その笑顔が見れればいい、なんて、死んで生き返ってまた死んだとしても言ってやるものか。
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