◇さあ、声に出して超えよう

そういえば、一度も俺から会いに行ったことはなかったな。
そんなことを考えながら、あの人のクラスへ向かう。
跡部さんと同じクラスのあの人に会いに行く俺は、相当情けない顔をしているかもしれない。だけど、それでも今は。

不意に、肩に誰かが当たって、とっさに謝罪を述べるべく顔を向け。目を瞬かせた。
いや、驚いているのは俺だけじゃない。彼女も……、今俺の目の前で相変わらず大きな瞳をめいいっぱいに見開いている久木先輩も相当驚いている。

しかし、彼女はそのまま何も言わずに目線をそらして何処かへ行こうと足を進めた。
離れる体。気付けば、その細い腕を逃がすものか、と掴んでいた。



『わかっ……日吉君……?』



嗚呼、何日ぶりに聞いただろうか。
俺を呼ぶ、声。瞳にわずかに水分を含ませながら俺を見つめる彼女は、いつの間にこんなに綺麗になっていたんだろう。
今まで、直視しなかった自分を恨みつつ、照れ臭くもなり目線を逸らしながら、ゆっくり彼女を抱きしめた。
細い肩。柔らかい皮膚。ふわふわとした髪の毛。甘い香りが胸に充満した時には、うかつにも理性が消えかけた。

抱きしめられたことを未だに理解できていないであろう久木先輩の体を、さらに強く抱きしめると、体がぴくりと跳ねた。



『っ……』

「勝手に……勝手に俺の傍を離れるのは……許しませんよ」



言っていることが横暴だって分かっている。今まで一度も甘い言葉を吐いてこなかった俺が今更何を言っているのか、と。だが。



「確かに、貴女はかなり変態で、何を言っているのか分からないし、無駄な知識が多いし。どこの世界に、貴女とまともに付き合えるような男がいるものか見てみたいですね」

『わ、若酷い……』



久々に呼ばれた名前。これが、それほどに嬉しいとは、さすがに思わなかった。



『ね、は、離して……私……』

「だけど……貴女がいないと……日常生活がおかしくなる……。それくらい、貴女が好きなんですよ」


だから、どうか。俺の傍を離れないで。これは、俺の独りよがりだと分かっている。
だけど、笑ってしまうほどにこの人のことが愛おしいから。そのまま抱きしめていると、先輩はついに泣き出したらしく、俺の胸がじわりと湿ってくる。



『め、迷惑、じゃない?』

「……今にはじまったことじゃないでしょ?」

『っ……き、もち悪く、ない?』

「それも今にはじまったことじゃない」

『…………嫌い、じゃない?』

「……ええ」



震える声が、安堵したように俺の耳をくすぐる。やがておずおずと両の手が俺の背中に回ってきて、「若、好き」と声が届いた。
ああ、今の俺は少しおかしいのだろうか。それはこのまま、ずっとこうしていたいほどに、久木先輩のことが……。



「おい、てめえら、そろそろ授業が始まるんだが」

「っ!!!」



勢いよく見ると、腕を組んだ跡部さん。しまった。ここが、三年生の教室の前の廊下だということをすっかり忘れていた。しかし、俺が体を離しても久木先輩はいっこうに離れてくれる気配がない。な、なんなんだ。つい、さっきまではあんなにしおらしかった人とは思えない。



「ちょ、離してくださいっ」

『離れないでっていったの若だよ』

「それとこれは別ですっ! ほら、早くっ」

『若好きっ! 大好き』

「ああ、もうっ!」



なんだか、これじゃ俺ばかりが損な役回りをしている気がしてきて、抱きついてくる久木先輩の顎を軽くすくって、触れるだけの口付けをした。それには相当驚いたらしく、緩んだ腕を好機として、俺は彼女から体から離れた。



『っ!』

「じゅ、授業、いきますからねっ」



ああ、悔しいが。認めたくないが。今相当顔が熱いのは、柄にもないことをしたのと、跡部さんに多分見られていたのであろう事と。……相手が、あの人だったから、だろう。



『若―っ、こっち見てっ! きゃー、跡部君っ! その手最高よっ』

「……ああ、やっぱり煩い」

「なんだ日吉。大好きな彼女が戻ってきたんだからもっと喜べ」



なんだか、完全におちょくられているが、仕方ない。最悪なことに、あの日のあのことは、跡部さんだけではなく忍足さんや向日さんにも見られていたらしく、あの日から1週間ほどはからかわれた。まあ、自分でまいた種だから仕方ないのだが。



「……まあ、日吉、これだけは言っとく」



跡部さんが馴れ馴れしく俺と肩を組んでくる。あっちでまた煩い声が増えたが、もう俺は知るものか。



「あいつを、二度と泣かすなよ」

「……分かってますよ」

「次に泣かしたら……俺がもらうぞ?」

「!!」



焦ったように顔を上げると、そこにはニヤリ顔の跡部さん。……やられた、と気づいた頃には、すでに遅し。俺は、がくりと肩を落としながらも小さく久木先輩に目線をうつす。
今日も一生懸命俺の写真やらを撮りながらマネージャー業をしている久木先輩は、相変わらずすごいのだが。前とは、違う色で見えるのは、思いを素直に伝えたからだろうか。



『若―』

「なんですか」

『好きっー』



満面の笑みで俺に手を振ってくるあの人は相変わらず、BLやらカップリングやらを必至になって語ったり、無断で俺の写真をとったり、小説を書いたりと好き勝手やっているが……。



『跡部と宍戸から攻められる若も好きだけど、普通の若が一番だからねっ』

「……はいはい」



そんな彼女を好きな俺が、一番おかしいのかもしれない。

『妄想彼女』

俺の彼女は、そう呼ぶにふさわしい。世界一変態で、意味不明で……

俺が誰より惚れている腐女子だ。






−END−






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