◇オカルトる顔

『若! ドラキュラの格好した跡部に襲われるのと、狼男の格好した宍戸とどっちに襲われたいっ?』

「激しくどちらも嫌です」


一体なんの仕打ちだ。……というか、なんなんだその選択肢は。
ラケットの整備をしている俺に向かって久木先輩はなにやら楽しげに目をキラキラさせている。
眼鏡の奥で大きな瞳がくるくる回るのを一瞬見ながら、溜息をつく。まあ、今日もいつもどおりだ。

ラケットを軽く握る。
ああ、やっぱり新しいグリップにしてよかった。しっかり手にフィットするこの感触は、やっぱり思わず頬が緩む。



『グリップ、それでよかった?』

「ええ」

『そっか。よかった』

「別に貴女のおかげじゃありませんよ」



釘を刺すように言えば、先輩は少しむくれてしまった。
確かにこのグリップを買ってきてくれたのは先輩だが、そのグリップの銘柄や詳しい長さなどを指定したのは俺なのだから、俺の手にフィットして当たり前だ。
そう言ってやろうかとも思ったが、さすがにこの人にそこまで言うのも少し気がひけて黙ったところを見ると俺もまだまだ甘い。



『若、今日の練習メニュー見る?』

「ええ」

『じゃあ、チューして』

「は?」



真っ直ぐな目線を送ってくる久木先輩にとっさに反応してしまう。心なしか高鳴る心臓は俺も期待しているということだとしたら……。宍戸さん風に言えば激ダサ、だ。
邪念を払い、眼を逸らそうとする前に。



『跡部君と』



不愉快な台詞が聞こえた。


「は?」

『だーかーら、私頑張ってお使い行ったんだから、ご褒美に跡部君とちゅーして?』



この人は頭が沸いているんだろうか。ああ、この人は元々こういう人だ。……今更ながらに、どうしてこんな人が彼女なんだろうか。

第一に、まがいなりにも俺の恋人であるはずの貴女がどうしてそんなことを望んでいるわけだ。跡部さんとキス? なんの罰ゲームだ。



「貴女の変な妄想には付き合えません」

『あ、若っ』




意地悪ー、とか言いながら頬を膨らます先輩にさっさと背中を向けてテニスコートに向かう。
ポーン、ポーン、と音が鳴りかうコートに行くと、精神安定するなんて、一体どういうことだ。
思わず溜息をつくと、サーブの練習をしていた鳳がくすりと笑う。



「なんだ鳳」

「いや、幸せな溜息だね」

「お前もあの人の味方か」

「久木先輩はいい先輩じゃないか」

「……マネージャーとしては、と付け加えておいたほうがいいと思うぞ」



確かに、レギュラー専属のマネージャーをしているくらいだから、あの人はすごい。喉が渇いたと思う前に飲み物を手渡してくれるし、タオルは丁寧に畳まれている。立海や青学のデータマンには及ばないが、それなりに情報も集めている。
まあ、集め先が知り合いのコスプレイヤーや、同じ趣味の人間だということは、あえて気にしないほうがいいのだろうが。



「鳳、お前もそのうち毒されてしまうぞ」

「なにが?」



こいつ、絶対わざとだな。にこにこ笑いながらも、「幸せそうだね」と上から見られると正直不愉快だ。……身長も下剋上だな。

籠の中からボールを数個とって、ボールを打つ。いい音だ。そういえばコート整備も久木先輩は進んでやる。
普通ならば、いくらマネージャーであろうと、三年生である先輩がコート整備なんてしなくてもいいことはいいのだが、「私が好きでやってんだからいいの」と跡部さんに言い切っていたものだから……。

そもそも、部活にも入部していなかった先輩がテニス部のマネージャーになったのは、俺が原因だ。




『え、日吉君って、テニス部の日吉君、だよね』



あの日、俺から告白された先輩が、意気揚々とマネージャーになりたいと言ってきた時は、テンションも上がった。
だか、気がついたらこの人はあれよあれよと俺のことを名前で呼びはじめ、恥ずかしげもなく「私、男の子同士が愛し合っても許すからね! だから男の子に浮気してね若」と俺に断言してきた。
ああ。今思い出すだけでも頭痛が……。

まあ、動機はどうせ「近くで若が他のメンバーといちゃいちゃしているのを見たい」とか言うものだが、それでも先輩は自分の仕事をしっかりとこなしている。正直、そんなところは尊敬している。



「なんや日吉。今日はやけに熱がはいっとんのなあ」

「忍足さん」

「なんや、今日は茜ちゃんはおらへんのなあ」

「部室に洗濯物がたまっていたから、畳んでるんじゃないですか?」



そっけなく答えたつもりが、不意に先輩がタオルを畳んでいる姿が浮かんで迂闊にも胸が小さく鳴った。
きっと今のは寒気だ。そうに決まっていると言い聞かせていると「まだ聞いとらんの?」と忍足さんが首をかしげた。



「なにをですか?」

「UFOの話や」

「は?」



UFO! これは、オカルト好きな俺としては、聞き逃せないワードだ。期待に膨らむ胸をなんとか隠して、忍足さんに続きを促すと、なぜか拒否された。



「なんでですか」

「俺が言ったら怒られるわ」

「誰にです?」

『若っ』



まるで打ち合わせでもしていたのか、というタイミングで俺と忍足さんのところへかけてきた久木先輩。
心なしか、息が乱れているがそんなにも急ぎの用事でもあったのか、と尋ねる前に先輩が写真をパシリ。
……またやられた。最近は、どうも写真を撮られる事に慣れているようで俺もそこまで反抗しないのだが。
げんなりと肩を落としていると、キラキラ顔の先輩は、写真の出来を確認した後に俺の手にしがみついた。

柔らかい腕。それが触れたとき、とっさに払いそうになったが、きらきらした笑顔を見るとそれもできない。この人はある意味で悪魔だ。オカルトの世界でのものに例えるならばそれだ。

俺の気なんて知らず。にこにこと俺の名前を呼ぶ。大体、俺は「久木先輩」と上の名前で呼ぶのに文句一つも言わない。
……ほら、悪魔だ。俺をどんどん妙な世界に引っ張る悪魔。



『ねえ、若』

「なんです」

『グリップ、ちゃんと使えた?』



いつものキラキラ笑顔だったからどうせしょうもないことを聞いてくるのだろうと思っていたら意外にも違う問いに焦る。言葉が出ずに頷く先輩はにこりと笑って「よかった」と言う。……そんな顔されたら、悪態もつけない。



『ねえ、ご褒美ね』

「キスは絶対に嫌です」

『う……じゃあ、これは?』



先輩が見せてきたのは真っ暗な空の写真。その中心に浮かぶ白い物体。俺が持っている写真とは別の。



「UFO……」

『ね、すごいでしょっ!』



これ、若にあげたくて。
にこにこしていた理由はそれか。
……というよりも、これは俺にとって御褒美な気もするのだが。




『これあげるから、ご褒美に宍戸とのツーショット撮らせて?!』



これは、物々交換ということか。
正直、宍戸さんとのツーショットよりも先輩からこの写真をもらえて嬉しい気持ちが勝ってしまって「一回だけですよ」とこぼしてしまった。



『本当っ! やった! 夜頑張って空を見張っててよかったよ!』

「見張ってたんですか?!」

『だって、若とオカルトの話したくてっ』

「は?」

『オカルトの話する時の若はかっこよくて可愛いって鳳君が言ってたからね、すごく気になったの。きっと、その顔も私が好きな若の顔にきまってるもんねっ』




だから、宍戸との写真を撮る前に私にその顔見せて。なんて催促する先輩は、幸せそうにその写真を差し出した。

動機は大分不十分だ。この人はいつだってそうだ。だけど、俺のために頑張って撮ったその一枚が少し顔を緩ませる。
鳳が妙なことをこの人に教えたことはおいといて、今は先輩の言う「オカルト」話を練習後にしてあげよう、と心に決めていた。



『じゃあ、絶対オカルトについて話そうねっ! 私楽しみにしてるからねっ』



それと、カップリングのことも話そうね。なんて、最後に爆弾を投下していきながらも先輩は仕事に戻った。きっとヲタク用語に精通している忍足さんは、なんだかニヤニヤしながら「幸せそうやんなあ」なんて言ってきた。

まあ、どうせ……。先輩はオカルト話よりも俺の写真を欲しいのだろうけど。
俺のオカルト話をする顔を好きだなんて言ってくれる先輩を嫌いにはなれない俺は、やっぱり少しおかしい。






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