一気に情報を受け取ったせいか吐き気がひどい。だけど結局吐き出すことなんて出来なくて、私は洗面台の蛇口をひねりながらそっと壁にもたれかかった。幸村君が話す「私」はあまりにも綺麗だ。美しくて、大和撫子で。なによりそれを語っている幸村君の幸せそうな顔が頭から離れない。あの笑顔を私は覚えている。そのはずなのに、どうして昔のことを思い出そうとするだけでこんなにも苦しいのだろうか。公衆トイレから出て、思わずそこにあるベンチに腰をかけた。あの事件の記憶は、気味が悪いほどに鮮明に残っているというのに、その前後の記憶だけがないなんて。昔の私は彼のことをどんな瞳で見ていたの? どんな感情でその名前を呼んでいたの? 昔の私は……一体。


「あなたが悩む必要はない」

『っ、誰……』


声に反応して顔を上げるとそこに見知らぬ人が数名。違う。あの人達はこの間私の前に現れたスーツの男だ。顔を黒いサングラスで覆ったその集団はあからさまに威圧感をかもし出していて、私はこくりと息を呑んだ。見知らぬ男だ。もしかして跡部家の……私のことを知っているのかもしれない。それで脅しをかけたいというのだろうか。そんなことは、絶対に避けないと。私はもう一度呼吸を飲み込んで相手を睨むその前に。


「幸村精市が好きなのは貴方ではない」

『……は?』

「あなた自身も分かっているはずだ」

『な、にを』

「彼が好きなのは過去の「玲華」であって、今の貴方ではない」


やめてよ。やめて。
そんなことは言われなくても分かっている。彼が話す私と今の私が違うことも分かっているし、今の私に対して優しくしてくれているのは、私が彼の昔の恋人だったからなんてことはわかっている。


「今の貴方に恋慕を抱いているわけがないでしょう」

『っ、あなたたちには、関係ない……ことで』

「そして、記憶を思い出すこともおそらく無理ですよ」


もう、過去の貴方が今の貴方に戻るわけがないのだから。
そんな言葉が耳に届いた瞬間、思わず呼吸が止まる気がした。一体なんの話なんだろうか。いや、全てでたらめに決まっている。私をゆすぶる作戦だろう。自分を保て。
もしも私が跡部家次男の正式な娘と知っているのならば、其れをネタに跡部家をゆすることだって出来るし、あの事件のことについて深く調べているのならば、それを新聞社にでも持ち込んであの事実を発覚させて跡部家を追い詰めることだって出来る。……今までは、景吾に迷惑をかけるくらいならば舌を噛み切って死ぬこともかまわなかった。そんなことが露見する前に私が死んでそれが収まるなら、迷わずその道を選んだ。なのに今は。


「玲華」


駄目だ。声が響く。
私のことをいとおしげに呼ぶ、幸村君の声が。


『私は、あなたたちなんかに惑わされない。たとえ、なにを言われようと』


消えたいと言った私のことを本気で怒ってくれたのは、過去に私と恋人だったからだって分かっている。
その延長線上で今の私のことも好きでいてくれていることもわかっている。
だけど、むなしいの。付き合っていたのは私なのに、彼の口から出る私は私とかけ離れているから。だから今の私を見てほしいと望んでしまうの。今の私自身を、好きになって欲しい、と。その時、彼らから笑みがこぼれた。


「やはり、実験は成功だ」


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