目を覚ましたそこに景吾がいて驚くことも無くなった。
景吾が私のもとに通ってくれるようになってからもう数日が過ぎた頃のことだった。
さらりとその髪を触ると彼はどうやら目覚めていたらしくて「どうした?」と目を細める。ううん。なんでもないの。ただね。ふとした瞬間に怖くなるだけだから。

不意に「あの人」の声が耳をかすった気がした。そんなはずは、絶対ないというのに。
「あの人」は景吾と同じくらい私にとって大切な人だった。出会ったのは中学生の頃。見た目だけで言えば、そう立海の柳君に相似している人、だった気がする。何故か彼の顔を思い出そうとすると、頭痛が起こってしまうのだから変な話だ。
微かな断片を合わせた中にあるのは、綺麗な髪と、芯の強い瞳をもった人。私のもとに来る度にたくさんのお話をしてくれた。今朝の朝食のパンが美味しかったこと、昼間にうっかり寝過ごしそうになったこと、ここに来るまでにたくさんの蝶を見つけたこと。道端に咲いていた花がとても綺麗だった事。脈絡のない話は、まだ幼い私にとってはまるでおとぎ話のようにも聞こえた。その人がどういう人なのかもどういう身分なのかも私は知らなかった。私達がどこで言葉を交わしたかも思い出せない。その人の口から紡ぎだされる言葉だけが唯一与えられた情報。


「俺は上に立つ人間とならないといけない」
『うえ、を?』
「そうだよ。誇りをかけてでも。俺の信念のためにね」


彼は幸せそうにそう言いながら私の頭を撫でてくれた。純粋にその人に憧れを抱き始めたのはその頃からだ。私もこの人のようになりたいと思ったと同時に、この人のために何かをしたいと強く思った。
だから、私は。



「……考え事か?」
『け、いご』
「また、お前の初恋の人、とやらの話か」
『うん』
「……気に食わねえな。初恋が俺じゃねえとは」
『なに言ってんのさ』


くすり、と笑いながらも私は起き上がり背伸びをした。
学校に行かないと。休日は終わったんだから。「学校に行くのか?」と低い声で唸るように尋ねる景吾に頷くと彼は息をついた。ごめんね景吾。私は、戦わないといけない。
何と? 自分と。


「氷帝に来れるように手配してやる」
『……会長の仕事を投げ出せって言うの?』
「違ぇよ。だが、お前があの場所に戻って傷付くのは目に……」
『平気よ。それに』


私は、これがある。
そう言いながら手にしたのは金色のブローチ。
母様が会長を務めていた頃はそれは素敵な時代だったらしくて、その母様の姿を父様は見初められたというのを聞いたことがある。……今となっては、何を信じて誰を信じていいのか分からないのだから、それが真実なのかも分からないけど。
きっと学校に行けば早苗と会うことになる。分かっている。だけど逃げたところで向こうの思う壺だ。
私は、一人じゃ、ないんだから。


『あれ、携帯光ってる』


疑問を浮かべながら首をかしげながら開くとそこには着信。その名前に見覚えがありすぎて急いでかけなおすと数コールでアルトがかった声がした。


「やあ」
『ゆ、きむら、くんっ』
「おはよう、具合はどうかな? お見舞いに行こうと思ったんだけど……君に気を遣わせてしまうと思ってね」
『あ、りがとうございます』
「ふふ、敬語なんて使わなくていいのに」


電話口から聞こえてくる声が酷く暖かくてすごく優しい気持ちになる。幸村君が私の恋人だったなんて私は知らない。いや、覚えていないだけか。記憶がない私に対してもこうやって優しく接してくれるこの人はすごくいい人。いや、そんな言葉じゃ片付けられないくらい。そう感じるのはたやすい事だった。


「今日から学校、行くの?」
『……はい。逃げたら、駄目だから』
「今の君らしいね。いや、昔からかな。……何かあったら、いつでも俺を頼ってくれてかまわないんだよ」


俺はそのためにいるんだから。
電話口の向こうで彼が微笑んだ気がした。どうしよう。胸がもやもやとする。幸村君と話すと駆け巡るこの違和感は一体なんなんだろう。記憶を取り戻せば分かるというのだろうか。


『ありがとう、ございます』
「敬語」
『あ、……ありがとう、幸村君』
「っ!」
『?ゆ、きむらくん?』
「……もう、そろそろ時間だね。準備しないといけないだろ?」
『あ、はい。すいません』


また敬語を使ってしまった、と思いつつも彼はそこを指摘せず「また連絡する」とだけ答えてくれた。
どうしよう。どうしよう。胸が熱い。痛い。苦しい。
よく分からないままで私はその邪念を消すようにキッチンへと向かう。
せめてその数分間だけでもその幸福にも似た感情におぼれていたくて、私はひっそりと呼吸を止めた。








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