ダメだ。考えたくない。つらいことなんて何も考えたくない。
あの日から狂い始めた不協和音は、まだ続いているんだ。私が跡部家を出たからといって、この人がいなくなったわけじゃないんだ。そんなことは分かっていたのに、自分の中で怒りや憎しみといった汚い感情がぐちゃうぐちゃになって怖い。
怖い。怖いよ。誰か。


「大丈夫だよ、玲華」


聞き覚えのある声がして、ふわりと体が軽くなるのを感じた。
目を上げたそこにいたのは早苗の姿で、私は自分の体がゆっくりと解けていくのを感じた。
早苗さえいれば、なにも怖くな。


『……え、ちょっと……待って』


どうして、早苗が、ここにいるの。
ひくひくと頬がひくつく。いけない箱を開けてしまったのか。それとも私の今の精神状態がおかしいのか。
あれ。あれあれ。
なにこれ。くすくすと聞こえる笑い声はなに?
うそ。なに。ああ、もう何もわからない。
分かることは何もなくて、響いた声が残酷にも私を刺した。


「貴方の後は私が継ぐから大丈夫だよ」


待って、待って。まさか。
耳の奥で過去の記憶がよみがえる。
そう、義母様には子供がいたんだ。私はその子を見たことは無かったのだけど、そう。そうだ。嗚呼、どうして今更そんなことを思い出したんだろう。
全て仕組まれていたんだ。
私が早苗に会ったことも、早苗が私の傍で支えてくれたことも。


「馬鹿な玲華。この数年間は自分の好きなように動かせてあげたのも、私を信頼させたのも……全部玲華を傷つけるため。全部母様の計画通りだったんだよ」


無邪気に笑う早苗は優雅な身振りで義母様のところへと向かう。義母様は、絶望に染まる私の姿を見て、嗤った。
そういうことだったんだ。

『……早苗、あなた、は……』

「もう玲華の帰る場所は無いの。だって」


私が跡部家次男婦人の実の子供なのよ。
楽しげに笑う早苗は私の前でひらりと身を廻した。


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