目を覚ましたそこにある見覚えのある景色に眩暈がした。かぎ慣れ過ぎたその芳香も、妙に肌に合っているシーツも、息苦しさを覚えないことが不思議な整い過ぎた空間も。


『……随分と強引に連れてきてくれたものね……景吾』

「文句ならいくらでも聞いてやる」


私の眠っているベッドに腰掛けていた彼は私の頬をするりと一度撫でる。その感触に身を捩じらせながらもその瞳を見ると私はそれ以上なにも言えなくなってしまった。それはきっとその瞳があまりにも深く沈んだ色を灯していたからなんだろう。怒りと悲しみとが混ざり合った美しいその瞳。


「痩せた、というより、こけたな」

『うそだー、きっと見間違い……』

「俺がお前のことで分からねえことがあると思うな」


相変わらずの口調なのにその覇気のなさに心がつきん、と痛んで口からこぼれたのは「ごめんね」なんていう陳家な言葉だった。何に対して謝っているんだろう。毎日のように脅迫じみた電話がかかってきているのに言わなかったことだろうか。それとも立海で倒れたことを黙っていたことだろうか。それともここ数日間、景吾から距離をとっていたことだろうか。きっと正解はすべてで、私は眉をひそめてその大きな手に自分の手を重ねた。


『記憶、ないんだね、私』

「……ああ。すまなかった。だがお前にそれを伝えることでお前が幸せになるとは判断しなかったから黙っておいた」

『……変なの。……私が幸せなら黙秘権もありってやつ?』

「ああ」

『っ!』


恨んでもかまわねえぜ、なんて言われてもやっぱり景吾のことを恨むことなんてできない。だって私のことを考えて、それを黙ってくれていたのにどうして私がそれを責めることなんできるのさ。苦笑交じりに「ありがとう」と零すと彼は私の隣にごろりと寝転んできた。アイスブルーの瞳がゆらゆらと揺れている。


『景吾、黙ってたのは私も同じだから。……おあいこ』

「……そうだな」


くしゃりと笑うその顔が私の額にキスを落とす。愛おしいものを撫でるように景吾の手が私の頬を撫でては私の不安を取り除いていく。景吾は私をこうやって優しく包み込んでくれる。温かく。温かく。


「思い出さなくても、いい」

『え?』

「あの記憶は、お前を苦しめるだけだ。……また、お前が傷つくだけだ」

『……あの事件に、関係があるの?』


景吾は何も言わず目線をそらした。
嗚呼、やっぱりそうなんだね。嫌な予感が当ってしまった、と心の中で思いながらもこれは私に対する試練なのだと心が泣いた。
いつまでもあの事件を封じ込めたままにしておくわけにいかないんだ。
私は私で、あの日に向き合わないといけない。それが辛くても苦しくても。
だって私は一人じゃない。こうやってぬくもりを感じることが出来る。だから、立ち向かえる。


『景吾』

「あ?」

『立海に行きたい』

「っ、おまっ」

『勿論、通うわけじゃないよ。だけど、立海で過ごした日々を忘れているというのならば、私はその記憶を思い出したい。たとえ辛くても。だから、お願い』

「ダメだ。なんのために玲華をここに連れてきたと思ってやがる。守るためだ。これ以上お前を傷つか……」

『いいの』


私は、一人じゃないの。
そう、彼が言ってくれたから。
微笑むと景吾は一瞬大きく目を見開いたあとですぐさま私を抱きしめた。ぎちりと小さな音を立てて苦しむ体が景吾に吸い込まれていく。


『け、いご』

「また、あいつか。……俺様の玲華を掻っ攫って行きやがって」

『え、あの、でも、その幸村君のことを完全に思い出したわけじゃ……』

「……思い出さなくていいだろ。お前は俺のもんだ」

『ちょっ、景吾、あのね』

「……分かってる。……だが、一つ条件がある」


俺も同伴する。
景吾はそう言うや否や、私の体を抱き上げてすたすたと歩き出した。あれ、今気づいたけど私、制服を着てない。いわゆるお姫様抱っこをされたままで歩く私のすそを白いスカートがひらりひらり。


『ね、ねえ景吾どこにっ』

「立海だろうが」

『へ? 今からっ? というかそもそも景吾今日練習はっ』

「おい、支度を始めろ。今すぐチャーター機の用意だ」

『ちょっと、けいっ』

「心配するな。すぐに準備させる」


そう言ったまま、景吾は私をメイドさんに引き渡してどこかに行ってしまった。













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