幸村君は、芥子色のジャージを小さくなびかせて私に一歩近づいた。
そして私がしているように、そのテノヒラを私の頬に滑らせた。

テニスをしている彼の手は、景吾みたいに少しばかりごつごつとしていて、頬の皮膚に触れるその痛みに目を細める。


「綺麗になったね」

『……そうなの?』

「昔も綺麗だったけどね。俺が好きになったくらいだから。まあ、顔だけで選んだわけじゃないよ? 君は……全てが綺麗だったんだ」


嗚呼、やっぱりこの人は私の恋人だったんだ。思い出さなくちゃいけない。だけど、その記憶が想い出せなくて眉をひそめていると、彼は首を横に振った。


「……いいんだ、無理に思い出さなくても」

『え?』

「あの頃のことを、思い出さなくてもかまわない。……だから、」


これ以上、一人で傷付くな。

そう呟いた幸村君の声が、私に落ちたのと、遠くでチャイムが鳴ったのはほぼ同時だった。

幸村君はそれを合図にして私の頬から手を離して、名残惜しげに指をさまよわせた後で息をついた。


「また、会いたい」

『でも……』

「いいんだ。覚えてなくて。君という存在がいればそれでいい」

『景吾が、あまり許してくれないかも、だし』

「……相変わらずだよね彼も」

『景吾とのこと、も知ってるの?』

「当たり前だろ。俺と君は恋人だったんだから」


案外昔の私は幸せだったみたいだ。そんなことを考えながらも、やっぱり思い出せないことがもどかしくて、次第に訪れる別れに声が沈んでいく。
すると、ふわりと微笑んだ幸村君はにこりと笑い、私のでこで指をはじいた。


『いっ……』

「もう、俺は遠慮も加減もしない。……もう一度、玲華を手に入れるよ」

『っ、ちょっ……』

「だから、一人だとか思ったら許さないよ」


どこからか吹いた風が、彼のジャージをはためかせる。
蒼い髪が揺れて、白い肌が、光る。


「立海テニス部は、そして俺は、玲華を絶対に裏切ったりしない!」

『っ……』

「……俺がいるから。一人じゃない」


そうだろ?
そう言って微笑むその笑顔に胸が高鳴った。
嗚呼、厄介な人。景吾とは違うタイプで、だけど私のことを惹きつけて離さない人。
私はその微笑に返すように口元を彩ると、ゆっくりと歩き出した。

誰かが堕ちましょう、と嗤う。
その反面で私は笑う。
せめてこの一瞬だけは、幸福にみちればいい、と。








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