不意に、幸村君が私に問いかけた。
「君は……櫻井さんは、今楽しいかい?」
『え?』
「……いや、君はいつも気を張っている気がするからね。……疲れたり、しない?」
どうしていきなりそんなことを聞いてくるんだろう、と思いつつも私はゆっくりと首を横に振る。
『いいえ。会長は、私が望んだもの、だから』
「望んだ……?」
目を丸くする幸村君に、頷いて私は、金色のブローチを小さく撫でた。小さい頃のあの甘く優しい風景が瞼の上に浮かぶ。
静寂でさえ愛おしくて、何もかもが幸せにみちていたその月日。
『母が、昔会長をしていたんです』
「君の、お母さん?」
『ええ』
どうして母の話をしているんだろう。自分でも驚いてしまうほどに、口が動く。嗚呼、でも何故だろうか。この人の瞳に見つめられると、声が滑り出てしまうんだ。
『母は、立派な人で、温かい人でした。……もう、いないけど』
瞬く度に、思い出すその美しい人。気高く、儚く、私のことを精一杯愛してくれたその人。
もう、戻らない日々。
そして、もう思い出すことも、その残り香を求めることも許されはしないこと。
『私には、このブローチが……たった一つの、母の、形見なんです』
それだけ言っても、幸村君は深くは追求しなかった。しかしながら。小さく、私の頭を撫でながら、「君はやっぱり……」そう呟き、微笑んだ。痛々しいその笑み。私の心を掴むその笑み。
「……櫻井さん、もう一つ、聞いてもいいかな」
『はい』
「……君は、……俺の名前を知っているかい?」
『え?』
「……ああ、やっぱりいいや。うん。気にしないで。ちょっと困らせたかっただけだよ」
そんなことを言いながら幸村君はまた笑う。
ついで聞こえたのは幸村君が「蓮二」と発した声。どうやら、柳君も来たらしいな、ということを頭が判断したのと一緒に。
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