「蓮二。あまり暗くなると、女性の一人歩きでは危険だ。お前も早く戻った方がいい」

「そうだな。玲華、また明日会おう」

『うん。さようなら』


そう言って、歩き出そうとするほんの一秒前。
真田君と柳君の後に誰か立っているのに気付いた。

距離で言えば、そんなに近くない。
どちらかといえば、私達が会話しているのさえ聞こえないほどの距離。
だけど、そこに立っているだけで、感じられるオーラ。圧倒的な存在感。


『あの人、は……』


芥子色の長袖ジャージをはためかして、軽くウェーブのかかった蒼色の髪をなびかせて微笑んでいる。
微笑んでいるのに、感じられるのは強いオーラ。違う。儚い?
いや、そうじゃない。

彼が放つオーラから、目が離せない。頭の中で、いつか見た記事がぼんやり、ぼんやりとプレイバックしていく。

ああ、この人。
私、この人のこと知っている。
なのに、思い出せない。

違う。記憶が、あれ。あれ。

フワリと、彼が微笑む。
その口元で何かを呟いている。


『ひ、さ……しぶ、り?』


彼の口の動き。
いや、そうは言ってないかもしれない。
でも、でも。

もし、彼が久しぶりと言っていたとしよう。
それならば、私は彼に会っていることになる。

いつ?
中学生の頃の記憶は「あの事件」があったから、あまり覚えていない。ぽっかりと欠落しているような感覚。
知らないはずだ。彼のことなんて。第一、柳君や真田君のことは月間プロテニスで見て覚えているというのに、向こうに立っている彼のことだけ覚えていないはずがない。

そう、知らない人だ。
きっと、あの人が私を誰かと勘違いしているんだ。


「櫻井?」


不思議そうに私の名前を呼んだ柳君に現実に戻されて、私は、息をのんだ。
気がついた時には、彼の姿はなくて、私は横に首を振って、苦笑をこぼした後、ゆっくりと歩き出した。

夕日にきらめくブローチが、時折音もなく鳴った。

目が離せないほど誰かを見たのは、久しぶりかもしれない。
しかも、立っているだけの人を。
どうして目が離せなかったのか。
どうして、彼はあんなことを言ったのか。
考えれば考えるほどに深まる妙な感覚は、ぐるぐると私の中でおかしくなる。

とりあえず、明日、景吾との約束どおり練習試合に行けば、そこに「彼」はいる。
そのときにでも、なにかを思い出すかもしれない、と考え、私は目をつぶった。










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