これは、非常にまずい事をした。
いくら鈍感な私でも気付くほどに張詰めた空気と、頬を赤らめたままで涙を流している女の子。
ばっちりと目が合ってしまった景吾から急いで目をそらしながらも私はもう一度部室の扉を反射的にしめて、その場に座り込んだ。
別に、景吾に恋をする女の子にショックを受けているとかそういうわけではないけど、折角景吾に告白をするために勇気を振り絞っていた女の子の邪魔をしてしまったことが何よりも悔やまれる。
嗚呼、馬鹿。私。
そりゃ、景吾が部活に来るのが遅いわけだ。変に納得をしても状況が変わるわけでもないけれども。
しばらく罪悪感に襲われていると、今度は外側から扉が開けられて、私の目の前に再び景吾が現れた。
しかし、今度は景吾以外の姿は無くて、嗚呼、あの女の子は振られてしまったのか。
『……ごめん』
「何がだ」
『邪魔、しちゃった』
「はっ。お前は変なところで謙虚になんだな」
いつもならば即座に返せる景吾の嫌味も、だいぶ重い。
『……だって』
分かるから。
例え、私にだって分かるから。
人に思いを伝えることの大切さと、苦しさと、どうしようもない感情を私にだって理解できるから。だからこそ、私も胸が痛い。
『……私のせいで振った……?』
「んなわけねえだろ。もともと、顔も名前も知らねえ奴だ」
景吾は、私の頭をポンと一回小突くと、くしゃりと音を立てながら私の髪の中に指を差し込んだ。
彼は、テニスの試合でインサイトなるものを使うらしいけど、まるでその技を私もかけられているみたいだ。全てを見透かして、それでいて微笑みかけてくれる気は、きっと気のせいじゃない。
「遅くなっちまって悪かった。寂しかったろ?」
『馬鹿なこと言わないで。……みんなが……一緒にいてくれた』
私が景吾の従姉妹だからかもしれないけど。そう呟いたら、真剣な目で見据えられ、また小突かれた。
「しけた面してんじゃねえ。……奴らも、信じられねえか?」
『違うっ……違う。信じてる。みんなすごく優しくて……暖かいから。だから……、私はっ』
だから。怖い。
「うつむくな。櫻井玲華会長」
『っ……』
「このブローチは、ただの飾りもんじゃねえだろう?」
景吾が、ゆっくりと私の頬を撫でる。嗚呼、弱い私。どうしてこの手を払う事が出来ないんだろうか。
きっと、私はこの優しさに甘えていたら、また誰かを傷つけると分かっているのに。なのに、景吾の優しさにただひたすらめまいを感じた。
『あと、五秒だけ……。そしたら、ちゃんとっ……笑うから』
言い聞かせるのは自分にかもしれない。
そうして私はまた、一つ弱さを隠して強さという嘘の仮面を被っていく。
それが正しいのかなんて分からない。分からないなりにもがき、あの日から目をそらそうとする私の先に道は広がるのだろうか。
私は、そっと目を閉じて、息を吸った。
『……資料、大丈夫だったよ』
「もう、いいのか……?」
大丈夫。
今はまだ、何かを考えているような暇は無いから。小さくこぼす声。
『春会なんだから。あまり、手塚君に敵対意識しないでね。みんなビックリしちゃう』
自分の動揺を悟られないように明るくするけど、きっと景吾にはばれている。その私の弱い面まで受け止め、なおかつ何も言わず返してくれた景吾の唇が、小さく弧を描いて私の頭を撫でた。
「まかせとけ。万が一お前に手を出す男がいたら、その場でつるし上げてやる」
『そ、そういうこと言ってるわけじゃなくて……』
「冗談だ。じゃあ、本番は頼むぞ」
『景吾もね』
そうだ、練習見ていけよ。
と命令口調で述べる景吾にうなずき、私は部室を後にした。
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