小さく、嗚咽が零れた。
そう気づいたときに一粒の雫が私の頬を触れた。決して綺麗とは言えない彼女の顔が、あまりにも痛々しくて。



「でも、……本当は私もっ……玲華みたいに、笑いたかったっ、優しい人にっ、なりたかった」


全てが繋がった音がした時に、私は早苗の身体を抱きしめていた。首の表面を掠めた刃は私を貫きはしなかった。ただ、呆然としていた早苗は痛々しいほどに叫ぶ。


「っ、馬鹿じゃないの? 私はっ、……玲華を騙して!監視して!もう一回利用するかもしれないんだよ?!」
『……うん』
「それなのに友情ごっこ?! 馬鹿にするのも大概にっ」
『ごっこでも……』


ごっこでもいいだなんて。こんなの綺麗事出しかない。
確かに過去の私は消えてしまったけど、今の私はこんなにも愛されている。それだけでいい。痛くても、辛くても、苦しくてもそれでも。


『それでも、早苗に出会えてよかった。私、そう思ってる』


たとえ全部演技だったとしても、それでも傍に居てくれた事が嬉しかった。
ずっと怖かった。人殺しの汚名を着た母の重みをいつまでもしがらみとして生きてきた。跡部家にも帰れず、一人で寂しかった。他人なんてどうでもよくて、ただ何かにすがりつきたくて母様と同じ学校に行った。母様の歩んだ道を歩んでもそこには誰もいないことは分かっていたのに。
だけど、違った。


『早苗にあえて、よかったの。よかった。嘘でも、なんでもよかった。傍にいてくれるだけでよかったの』





こんなの偽善者でしかない。私は本物の偽善者だ。だけど、彼女という存在にすくわれたのは今の私だから。早苗の過去も知らない私が、あなたをすくえるわけもないけど。だから。


『過去は、もう棄てるの』


私の過去を愛してくれたあの人も。
私の未来を愛そうとしてくれているあの人も。
全て棄てるの。ゼロからやり直すの。
そんなこと物理的に出来ないことは知っているから。だから。


『今から棄てて、今からまた作り直す。……私自身が』


口にしてみると、案外楽なものだった。
私が人体実験をされたという事実が消えることはないし、消えるとは思っていない。それさえ含めて私なのだから。それならばいっそ、私は今を承認してあげればいいんだ。過去の私がどんな人だったかなんて、もうどうでもいい。過去を振り返るよりも、未来を生きないといけない。
不意に、彼の声が聞こえた気がした。過去の私を深く愛してくれていた人。


「その瞬間、俺は恋におちたんだよ」


そのときどんな顔をしていたのか。どんな雰囲気をかもし出しながら、どんな声音で言ったのか。今の私にはそれは思い出せないけど、幸村君はそれを私に話してくれた。過去の私を愛してくれていた人。
今の私を受け入れて欲しいなんておこがましいことは分かっている。
だからこそ、私は、今立ち止まっちゃいけないんだ。
止まってしまったら、歩くことが出来ない。
これが間違っていても、もう、迷いたくない。


『だから、何度だって裏切っていいよ。……私は、早苗の親友だもん』


振り絞った声はちゃんと音になった。
今でも覚えている。あの日笑ってくれた早苗の表情を。
辛い時に傍にいてくれた優しさを、無償の愛を。
だから、この記憶は私のものだから。











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テーマ「人外ファンタジー」
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