万物が行いを成すには必ず理がある。それは、覆される事のない事実であって、理由なき物事などこの世には存在意味を見出す事はないのだ。
遥か頭上で空と雲が静かに重なりを見せた。その下でただ生きる自分がひどく滑稽で小さな物に思えて、不意に苦笑をこぼす。ただ、それだけのことだった。自らの手の中に握られているその銀色の輪をもう一度、強く握り締めそのまま唇へと持っていく。汗にとかされた鉄の匂いが生々しく私の鼻腔を這いずり回るというのに、不思議と顔に浮かんだのは愛おしい笑み。ああ、今でもこのような表情ができたものか、と水面にうつる自分に苦笑をこぼしてやると乾いた喉がからからと鳴った。直径が一寸ほどの銀の輪の裏側には、確かにあの時に時を刻んだという証が刻まれている。私とあの人の名前。
こんなものがあるからいけないのだ。だから、体の節々が、引きずり回されるように痛むのだ。もう、終わらせないといけないんだ。私も彼も、もう昔のままではいれないんだから。今まで片時も手放した事がなかったその大切な塊を、何の躊躇いもなく、深い深い色の池めがけて投げた。さようなら。
「どうした?」
妙に冷たく低い声が、私の耳をゆすぶった。せめて今のうちに、目の前に見えているその姿と景色を瞳の中にただ閉じ込めておこう、なんて馬鹿らしいことを考えながらも最小限の言葉で返す。
『……いや』
「なんだよ、隠し事か?」
『滅相もない』
「……手前ぇ」
怒らせたのだろう。隣にいるその体が、どことなく黒い雰囲気をまとったような気がして小さく息をついた。悪いのは自分である事が非常に億劫で仕方がない。本当は、この人にこのような表情なんてさせたくはないのだ。させたくない。させたくない。本当に、そんな鬼のような相貌にはさせたくない。
願わくば、私のそばでその水晶を細めてちりばめたような澄んだ瞳を細めていてほしい。ずっと。永遠に。心の中で小さくそんな希望が浮かんで、馬鹿らしくなった。幼子がかなわない夢を語るのと同じような気がした。ただ雰囲気が変わっただけなのに。
「お前、大分俺を怒らせたいんだろ」
『別に、そういうわけじゃないよ』
本心だった。
どこの世界にこの人を怒らせたくて怒らせているというのだろうか。それこそ鬼の前に裸体で歩き出るようなものだ。末恐ろしくて足さえ出ない。そう考えながら下を向いた時に、力強く腕をひかれて、静雄の「おい」という低い声。
「指輪、どうしたんだよ」
彼は驚いた顔のままで私に問いたけど、私は苦笑したままで首を横に振る。いいの、もういいんだよ。そう口にはしなかったけど、静雄はそれを珍しく感じ取ったらしく、私の手をそっと離した。私を傷つけないように、と優しく触れてくれる静雄の優しさに何度私は助けられたんだろうか。不意に彼の優しさが愛おしくなって、私はそのままその手を自分の頬に当てた。
『静雄は、あったかいね』
誰と比べて、なんてそんなことは愚問。そして、彼の体温なんてもう思い出さないほうが私のためなんだ。そして、私が今日からまた歩き出すためにあの銀色の塊は不要であって、枷になるものだったから。
『だから、もう、いいんだよ』
私はずるい女だな、なんて考える片方で、何も言わずに抱きしめてくれるその腕にすがりつく私を誰か許して。