私は嫁ぐらしい。私の父の会社が倒産しそうで、それを支援してくれる会社の次期社長と。そんなよくある政略結婚。
単純明快なことに苦笑しか溢れなくて、だけどそれを否定したところで何もならないことは分かっていた。だから私は独りでにいっそ空想の中にでも逃げ込んでやろうかと唇を噛んだ。「どうして」なんて言ったとしても意味が無い。父が経営している会社の手助けをしてくれるといってきた会社の出した条件が私との結婚だったんだから。私なんかにそんなに価値があるものか、と聞かれれば答えはノーである。相手方は、ただ結婚適齢期を過ぎようとしている息子に見合い話を提示したいだけなのだから。
私はどうなるんだろうか。使用人のような扱いを受けながら生きるんだろうか。それとも一生操り人形のようなままで生を終えるんだろうか。どちらにしても待っているのは明るい未来なんかじゃなくて。
『もう、行かないと』
迎えが来るらしいから。ここに来るのも最後だ。学校を辞める手続きも済ませた。全てと引き換えに私は顔も知らない男と結ばれる。今思えば、テツに初めて会ったのも、恋をしたのもこの体育館だった。それも終わり。この間テツには「好きな人が出来たから別れよう」と電話越しに言った。あれから一週間、彼からの連絡は無い。当たり前か。こんな一方的な別れをしてくる女なんて気にするほうがおかしい。
『あーあ……痛い』
会いたい。テツに。
でも、一生会えないなら、テツに辛い思いさせる前に別れほうが何倍もマシだもの。だから……せめて私の感情はここに置いていこう。そう思いながら振り返ったとき。
「行かせませんっ」
そこにいたのは、めいいっぱいに腕を広げながら入り口を塞ぐテツの姿。進もうとする私を険しい顔をしながらとめている。
「絶対にっ……行かせない」
駄目だよテツ。早く私のこと嫌いになってくれないと困るのに。どうしてよ。どうして。嫌いになって見放してよ。
じゃないと。じゃないと私。
『行きたくないって……言っちゃうじゃ、んっ……』
思わず零れた台詞に、一瞬呆けたテツ君はその言葉の意味を理解した時に、少しだけ幸せそうに笑って、また先ほどのように険しい顔をした。いつの間に彼はこんなに大きくなっていたんだろう。少し前までは私が彼よりも大きかったはずなのに、今は彼は私と同じ目線で私を見つめている。すごく強い顔で。誰よりも愛おしい人は、気づいた時にはこんなにも大きく、素敵な人になっていたなんて。
『……もう、駄目だよ。誰から聞いたか知らないけど……。もう、決まったことなの。……行かないと』
「なんでですかっ」
『……テツ』
「なんで貴女なんですかっ! どうしてっ……どうして、栞さんがっ……」
彼は、喉が千切れそうなほどに叫びながら私を抱きしめた。テツのにおいが好きだ。テツのさりげない言葉が好きだ。いつも、いつだって、テツがそこに存在してくれさえすれば、私は幸せだった。
だから。
『だから、テツ……幸せになって。私のことは忘れて。ちゃんとした人と、幸せに」
「栞さんじゃなきゃ駄目なのにっ!」
『っ……』
「……なのにっ……こんなのっ……」
こんなの、あんまりだ。
そう呟いたテツの肩越しに黒いスーツの男が歩いてくるのが見えた。迎えに来たというのだろうか。ああ、もうタイムリミット。私は、彼の胸板を強く押した。突然の抵抗に驚いたらしい彼がふらついて、私はその隙に彼から離れた。ねえ、テツ覚えてる? 初めて出会った時のことを。テツはこの体育館で一人で練習していて、私が突然声をかけたからテツってば驚いてしりもちをついたよね。まるで、その時の再現みたい。
「ありがとう」
そのまま走り去る。追いつかれないように、後ろを振り向くこともなく。
さようなら、何よりも愛おしい人。
あの頃に戻れたら、どうか。
今度は、恋に落ちませんように。
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テツ君が大好きすぎてなんだかつらいです。
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