気づけばそこにお前がいた。
「私ね、結婚するんだ」
弱弱しくて、よく通る声だった。
「っ……笠松の事、待ってるの、疲れちゃったの」
違う、違う。俺はやっと気づいたんだ。
お前じゃないと駄目だ。お前がいい。お前だけだ。そんな顔をさせたかったわけじゃない。疲れただなんて言うなよ、頼むから。
「おい、待てよ」
喉の奥に何かが詰まったようにつっかえて、みぞおちあたりが締め付けられるように痛い。誰と結婚するって?俺以外の男とどうこうなるだって?ふざけんな。ふざけんなよ。
「っ、待て、よ」
触れたい。
息を吐くのと同じぐらい自然にその感情が浮かんだ。
だというのに、今こいつの肩に触れるどころか、名前を呼ぶ資格さえない気さえしてきて伸ばした手を引いた。
ゆっくりと息を吐きだしたかその横顔が、驚くほど綺麗で、背中をぞくりと走る感覚に息をのんだ俺に向かって、彼女は笑った。
「じゃあね、笠松」
彼女の隣に、見たこともない男が立っている。
大人びていて、背が高くて、余裕ぶった笑顔を浮かべながら、その男は彼女の腰に手を回した。次第に遠くなるその二つの背中が、白く続く道を歩いていく。
「っ、やめろよ」
触るな、触るな。
そんなに近づくな。ふざけんな。やっと、やっと気づけたってのに。俺の方が絶対こいつの傍にいた時間も、こいつの癖も、こいつの笑った顔も泣いた顔も見てきたってのに。
「っ触んな!!」
引き離したところで、彼女の感情はどうにもならないのだろう。これから先、俺はまたこいつを泣かして、悲しませてしまうかもしれない。だとしても。
「お前をこれ以上っ、他の奴に渡してたまるかっ」
自分勝手だとののしられてもいい。お前の隣に俺以外が立つ想像なんてまっぴらごめんだ。
走っても走っても追いつけない気がして、喉の奥から血反吐が噴き出してもいいだなんて思いながら必死に走った。振り返った彼女の瞳が、揺れた。
「どこにもっ、行かせやしねぇ!」
腕を引き寄せると、彼女は驚いた顔をした後で、小さく笑った。
「ゆきちゃん、私はどこにも行かないよ」



「……ん」
「お、主様のお目覚めだぞ」
森山が呆れ顔でこちらを見ている。
「笠松先輩ってば、酒弱いくせに、なんであんなに飲むんすかー」
黄瀬がやれやれ、と首を揺らした。
「笠松、大丈夫?」
嗚呼、なんだ、夢だったのかよ。
心配そうにのぞき込むその隣に誰もいないことに酷く安心して、それと同時に反射的に手が伸びた。
「……どこにも、行くなよ」
「……へ?」
自分で言った途端、急に目がさえてきて、ここが飲み会の場だということも、後ろで黄瀬と森山がじっとりとこちらを見てきていることに気づいた。
「おいおいおい、笠松君〜?それは何?甘えてるの?」
「え、でも笠松先輩たち、喧嘩して今絶賛別れ話の危機ってさっき先輩言ってたじゃないっスか」
「おいこら黄瀬!」
森山と黄瀬のワードで、酔いの残る頭の片隅で、嗚呼そういえばそうだったと思い出した。互いの事を考えて、これ以上一緒にいられないと結論づけた。
あーそっか、だからこいつ今にも泣きそうな顔してるのか。
このままじゃ、きっと夢の中みたいに、どっかの男に掻っ攫われて、俺は心臓を叩き潰されたんじゃねえかってくらい後悔する。
片手でその頭を引き寄せれば、彼女の身体が俺に倒れ込んだ。
「……なぁ、」
「っ、笠松、ね、ここみんなもいるから」
「なぁ、……一緒に住むか」
「……は、は……?」

back


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -