愛故に私を傷つけるというのならば、私は全身全霊を使ってでもそれを受け止めるというのに。彼は、あの子を傷つけたくないから私を傷つける。叩く。殴る。蹴る。そして、いつものようにもがき苦しむ私を見てどことなくぼんやりとした目のままで「すまん」とだけ謝る。謝らないで。ねえ、私、自分で望んでこうなっているのだから。このアザも、この切り傷も、仁王がつけてくれたと思えばそれだけで幸福に変わるから。だから、せめて私に感情を向けて。嫌いなら嫌いでいいの。「殺したいくらい憎い」でもいいの。好きになってほしいなんてそんなおこがましいこと望まないから。なのに、私に向けられる目は酷く冷めたものでしかない。嗚呼、苦しいな。感情さえ向けてくれないことが。私を仁王の都合のいい女にしてくれていいのに、女とも見てくれない事が。それ以前に人間として見てくれないことが痛い。私はきっと仁王の中でただの塊しかないのだけど、せめて感情を向けて欲しいなんて望んでしまうのは私が悪いの? 嗚呼、そうよね。私が悪いんだわ。だって、仁王は私に傷と言う名の印をくれているもの。
だけどね。だけど。ごめんねもう限界。一度幸せを求めてしまったら止まらなくなってしまったの。仁王に愛されたいと望んでしまったの。
でも、駄目だってことは痛いほど理解していたから。あの子の代わりにもなれない。貴方の浮気相手にもなれない。挙句の果てに、彼のマリオネットにさえなれない。汚らしい塊である私ごときが幸せなんかを望むわけにはいかないの。


『だから、さようなら』


ふわり、体が浮いた後で彼がこちらを見ているのに気づいた。
その口が、私の名前を呼んだ瞬間に、私は天国に行ける気さえしたの。

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失ってから分かることなんてたかがしれている。そうだというのに、俺は一体何をしているのだろう。目の前でまさしく消えたその塊は、俺の前にその日から二度と現れない。彼女が屋上から落ちた瞬間に下を見る勇気も気力も興味もなかった。ただ少し、ぽかりと何かが俺の中で音をたてた。なんじゃ、ただの塊が落ちただけなんに、俺はなんでこんなにぼんやりとしているんだろうか。そうじゃ、あいつの場所に行こう。この気味の悪いほどの空虚感を癒してもらおう。あれ。おかしい。俺の彼女であるあの少女の名前よりも、落ちていったあいつの名前が口をすべった。


「あかり」


俺は、酷い男じゃ。
あかりの名前の響きの愛おしさを今知った。
初めてあかりを殴ったのは、俺の愛おしい彼女が他の男と仲良さげに離している時だった。裏切られた気分が俺を喪失感の闇へと貶めて、どうしようも無くなった。そんな俺の様子を気にかけてくれたのがあかりで、「殴っていいか」と人間としてずれている問いかけをしたのにも関わらず彼女はそれを了解した。めきりと、音がした。
その日から俺はあかりをいたぶった。そこに感情なんてなくて、愛おしい彼女を傷つけたくないがためにあかりという塊にこぶしをふるい続けた。
そして、今日。さっき。ついさっき。俺の目の前で塊が飛んだ。「さようなら」の響きが俺の耳にもう一度伝わった気がして、視界が一気にクリアになる。


「っ、あ、っ……あああああっあああああっ!!」


俺はあかりに一体何をした? 傷つけて、その体を踏みにじって、それでもあいつは逃げなかった。泣かなかった。怯えることもなく、「謝らないで」と俺に微笑んでくれた。今思えば泣いていたのかもしれない。だけど、俺のことを本気で拒否することなんて無かった。きっとそれも一種の愛情だったのだと俺はやっと気付いた。同時に、嗚咽が止まらん。おかしい。おかしい。何が? 俺自身が。どうしてあかりの体を傷つけた。どうして今まで「人」として扱ってやらんかったんか。俺は、どうして、どうして。

「あかりっ。あかりっ」

戻らない。もう二度と戻らないというのに俺は何を泣いているんだろうか。
あまりにも無慈悲すぎるこのエンドロールは一体誰のせい? ああ、俺のせいか。







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