その背中にすぐにでも触れたいと思うのはおこがましいことなんだろうか。小さく浮かんできた欲望に自分でも苦笑する。凛とした視線と、まっすぐな黒髪。私の心を簡単に絡めとった彼のその白い指先が私の頭を小さく撫でた。「わざわざありがとう」と零す柳先輩の手には花束。今日の、彼のためだけに買ってきたその花束は不思議なことに、私の腕の中にあるときよりも華やいで見えるものだから不思議なものだ。不意にこみ上げてくる涙は一体なんの感情を示しているかなんて今の私には関係ない。ただ、この空間にいるのは先輩と私の二人だけのような錯覚に胸を焦がす。
はらりと桜がどこからか漂って、私の背中に降る。
今まで一度だってそういうことを言わなかった私が、声を小さく漏らす。


『好き、です』


好きです。どうしようもなく、好きです。だけどもう届かない。貴方に触れることは許されない。辛い、痛い。でもそれでも好き。好き。好きなの。その痛みさえ愛おしいと思えるほどに貴方のことが好きです。今更こんなこと言ってもどうしようもないのは一番分かっている。分かっているのに、私はどうしてもこの感情を伝えたかった。
その先に返ってくる言葉も予測していたのに、分かっていたのに私は馬鹿だ。馬鹿だけど、言わずに終わるくらいなら、言って楽になってしまいたかった。


「ありがとう」


だけど楽になんてなれなくて、私は痛みを伴う「ありがとう」を体全身で受け止めるだけ。
嗚呼、残酷な人。そんな言葉をかけている柳先輩の頭の中にいるのは私じゃないってことくらい知ってるのに、どうして私はこの人を嫌いになることが出来ないんだろう。酷い人。だけど愛おしい人。
反復する感情と彼の瞳が一瞬捉えた、私の背中越しにいるであろう「彼女」の存在。知ってるんですよ。貴方がどれほど「彼女」のことを好きかなんて。だってずっと見てたから。私じゃない他の人を愛していた貴方のことをずっと見ていたから。


『卒業、おめでとうございます』
「ああ、また会おう」


嘘つき。例えまた会ったとしても貴方は私のことなんて覚えてないくせに。分かっている。もうこの恋がかなうことが無いことくらい。先輩が彼女のことを深く愛していることも、きっとこの後彼女の元に駆けて行く事も。
だからこそ、私は精一杯の自分の感情をこめて『さようなら』を零すんだ。愛おしいなんていう綺麗な感情だけ抱いて生きていけるほど私は立派じゃないし、きっとこれからまた誰か他に好きな人が出来て、そのたびに喜んで傷ついてを繰り返していくんだろう。
だけど。迷わず言える。


『さようなら、柳先輩』


その瞬間。その時私は確かに。
貴方に必死で恋をしていました。
途方もないくらい。
貴方だけを愛していました。





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