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何を言っているんだろう。
柳がまた私の耳元で話そうとしたため、それを避けようと後ろに下がったが、そこまで広くもない生徒会室の壁に背中を打った。そして、私を逃がすものか、という具合に長い両腕を私を挟み込むように壁についた柳は、また私に顔を寄せた。




『っ……』

「どうした、顔が赤い」

『だ、れのせいだと……』

「無意識でやっているのだろうが、一応言っておくならば、その顔はやめたほうがいい」




俺を誘っているようにしか見えない。その台詞を皮切りに、彼は私の耳朶にひとつ唇を落した。



『ふぁっ……!?』

「その声も反則だ」



耳元で話し続ける柳のことをなんとか押しのけようと、胸に両腕をやって力をこめるが、毎日テニス部で鍛えている彼に叶うはずも無く、彼はぴたりとも動かない。
それどころか、柳はさらに体を近づけ、私はほぼ柳の腕の中に閉じ込められてしまった。

とにもかくにも、この状態をどうにかしないといけないのに、そのたびに耳の中に吐息を送り込まれて、力が抜ける。



『も、やめっ、柳っ』

「それは聞けないな」

『っ、最低っ、なんで、よっ』

「なんで、か。先ほども言っただろう。お前のことを一番初めに好きになったのは俺だと言う話だ」




さらりと言ってのけた柳の顔を見上げると、彼はさも当たり前のように口を緩めた。
白い肌と、綺麗に整った顔があまりにも近くてそれ以上正視することなんて出来なかったけれども。目をそらしたと同時に、柳の声がした。



『はじめて会った時から俺はお前を友人、としてではなく、幼馴染、としてでもなく、恋人としたい女と見ていた』

「しょ、小学生のくせにっ?」

『恋愛に年齢など関係ないだろう』




得意げに言うけれども、小学生のガキンチョが愛だの恋だのを真剣に考える事ができるわけがない。
……まあ、この人なら分かるけど。



『けど、そんなそぶり、その……なかったし』

「愚問だな。お前を手に入れるために機会をうかがっていたに決まっているだろう」



お前は馬鹿か。と付け足した柳はすこし呆れている。やっぱりこの人は変わった。……口が悪すぎる。この間、クラスの女子が「柳君はすごく優しくて、大人びていて優しい」なんて言っていたけど、今度「本性を見てっ」って言ってあげよう。
近すぎる距離に目をそらしていたけど、それもそれで悔しくて、私はちらりと柳を見た。



『……でも、柳、彼女作ったじゃん』

「……俺が彼女という存在を作った時期を覚えているか?」




あれは確か。
中学入学して三ヶ月くらいの時だった。そう、今でも覚えている。
今まで幼馴染だった蓮ニが、どこか遠くの世界に行ってしまったような虚無感を抱いたのを今でも覚えている。



『学校はじまって三ヶ月くらいに……』

「そう、その時。俺の生涯の恋が終わったんだ。あんなに辛い失恋は初めてだった」



ひたり、と。
彼の目線が私をとらえる。



「ちょうどその頃。……お前が俺ではなく精市のことを慕っていると気付いた」




……ちょっと待って。え、意味が分からない。待って。待って。
そしたら、私が幸村のことが好きになったから彼女を作ったというなら。



『柳は……彼女が好きで、彼女と付き合ってた、んだよね?』



そんなことを聞いてなんになるんだろう。だけど。



「言っておくが……俺の目には汀しか映っていない。それ以外は、皆同じだ」



ひどい。そんなの、ひどい。
愛していなかったのに、付き合ったの? 気付けば、私は思い切り右手を振り切っていて、柳の頬が赤く染まっていた。
ひりり、と痛い右手と、紅く染まる柳の頬。しばらく驚いていた柳が口を開いたと同時に、私の顎がすくわれた。



『っ、やなっ……』

「まさか、お前にそれを言われるとはな」



少しばかり、残虐的な声。
低い、低い男の声。




「お前も仁王のことを本気で愛しているわけでないのだろう?」



心の中を刺すような声に、体が大きく跳ね上がる。そんな私の様子を見ながらくつくつと笑う柳が怖くて、思い切り唇を噛んだ。
そう。いつだって柳は正しい。
小さい頃だって、私なんかよりも蓮ニのほうが正しくて、しっかりとした答えを持つことが出来ない自分が惨めで仕方が無かった。いつだって守られて、いつだって蓮ニが私の一歩先を歩いていて。いつだって……いつだって。



『そうだよ。だから私も最低なの』

「!!」



いつまでも。
私だって純粋なんかじゃいられなかったんだもの。



『今だって幸村のことを目でおっちゃう私は最低。クズ以下。人間として、最低で最悪なことしてるってわかってる。言われなくても分かってる』

「汀」

『分かってる! 蓮ニに言われなくても分かってるんだからっ! だって、でもっ、私っ』

「落ち着け汀」



本気で幸村が好きだったんだから。その綺麗な顔も、時折見せる虚無的な笑顔も。綺麗なところも汚いところも。幸村だったら全てきらきらしてた。本当は弱虫で、逃げ出すことしか出来ない私に勇気をくれたから。



『幸村がっ他の人を好きだってわかっても幸村が好きだったんだもっ』

「もういいっ!」



初めて聞いた激しい声と共に、私は抱きしめられていた。だけどさっきまでの怖い、とかいう感情はない。あるのは、なんだか懐かしい匂いと、少しだけ震えた彼の肩。違う。震えているのは私だろうか。



「……もういい。……分かっている。……分かっているんだ」

『れん……じ……?』



蓮ニと呼んでしまった事に気付いて、とっさに押さえ込もうとした唇に。リップ音。
そして離れ行く温度。「これ以上傷付かないでくれ……汀」そんな切実な声が、私の耳元で切なく鳴った。
どうして。どうしてなんだろう。
涙が、とまらないのは。



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