3 ひらりひらり。舞い、舞い。飛び。飛ぶ。紋白蝶の純白さは無い。あるのは、少しばかり禍々しいようで、鮮やかな色。右の上に飛ぶ蝶々。捕まえ、捕らえることが残虐だと呼ばれると言うのならば。その生命を終わらすことが非道と言うのならば。 今すぐにでも、この体に太い針を突き刺して、四角い箱の中に入れてくれてもいい。 そうすれば。 私だって、少しは美しく散った証を手に入れることが出来るから。 生徒会室は、少し不気味なほどに静かだった。 ただ、柳が紙をめくる音だけが妙に耳に入り込んでくるようで、少し気分が悪い。大体、生徒会室に来るのなんて、本当に初めてと言ってもいいほどだ。 決して模範生ではないのだけれども、悪い生徒でもないと自負している。ましてや、髪の毛の色や、服装のだぼつきとかで校則を破りまくる仁王とは違うんだから。 そんなことをぼんやりと考えていると、柳が私を手招きした。 「そんなところにいたら寒いだろう」 『……柳が?』 「……そんなところだ」 自己中心人間め、と冗談混じりで言ってやろうかとも思ったけど、なんだかそんな気分でもなくて、私はそのまま生徒会室に足を踏み入れた。柳は、生徒会の資料とテニス部の部日誌とを書いていたらしく、彼の机の前には、いくつもの冊子が積み重ねられている。 それを上手くまとめているところが、さすが学年トップの男、といったところか。 『……で。私なんかしたっけ? 柳』 「蓮ニ」 『え……?』 「昔はそう呼んでいただろう」 少しばかり不機嫌な目をしているに違いない柳から思わず目をそらした。昔って、何年前の話をしているのかこの人は。確かに私と柳は幼馴染だ。それも、柳がこっちに引越ししてきてからの付き合いになるから、それはもう随分の長さになる。 小学生の頃までは私もこの人のことを「蓮ニ」と呼んでいたし、柳も私のことを「汀」って呼んでいて、お互いにそれはもう仲がよかった。 でも、さすがに年を重ねるにつれて、名前呼びをするわけにもいかない。それに。 「柳の彼女に悪いから、とお前は言う」 『……正解』 「しかし、あいにく俺はお前が言う彼女とやらとはもう3ヶ月ほど前に別れを告げた」 嘘だ。私が中学一年生の頃から付き合っていた彼女だったはずなのに。すごく美人で、気前がよさそうで、とてもお似合いのカップルと全校生徒の中ではやし立てられわいたくらいなのに。……というか、いつの間に別れたのさ。 全く知らなかった。 「お前が近頃全く俺によりつかないからな」 『だって、ただでさえ人気者の柳に近づいてたら、私の命が危ない。……って』 そういや、今、心の中読んだな。なんて、少し悔しがっていると、まるで勝ち誇ったような顔をされた。こういう、少し意地悪なところは昔から健在といったところか。 柳と呼ぶようになってからは、彼の彼女のこともあり、あまり彼に近づかないようにしていたものの、別に喧嘩をしていたわけじゃない。 だからなのか、なんだか少し懐かしい気分さえした。 そんなことを考えた私の気持ちを汲み取ったように、彼は少し穏やかに笑った。同じ学校であっても、クラスが遠い柳のこういう顔を見るのはひどく久しぶりで、思わず「蓮ニ」と呼びそうになる口を必死で押さえ込みながら、私は口を開いた。 『や、柳』 「蓮ニでいいと言っただろう」 『……私、なにかしたっけ?』 「何故?」 だって、そうじゃなきゃ生徒会室に呼び出しなんて今まで一度もされたことないから。しかし、彼は顎に手を置き、何かを考えるそぶりをした後で、私の近くまでやってきた。近くに立つと思うが、本当に大きくなった。 小さい頃は、髪もおかっぱで、身長もそこまで大きくなかったから、女の子のようだった柳は、今ではすっかり男なんだと思った。 相変わらず閉じられている瞳が、一度私をするり、と見据えたと思えば、彼は私のほうにもう一歩近づいた。なんだろう。この柳は知らない人みたいだ。今までとは違う空気に、瞬きが多くなる。 「俺がお前をここに呼んだわけを教えてやろうか」 なんで。なんで、こんなに違う人に感じるんだろう。 相手はあの「蓮ニ」だ。 ましてや、私の彼氏である詐欺師のペテンでもなんでもない。 小さい頃、暗くなるまで一緒に遊んで、よく一緒にしかられたような「蓮ニ」だ。数学が得意で、私が考えていることなんてお見通しで、私が困っていると、必ず助けてくれた「蓮ニ」だ。 なのに。違う。 「汀」 『っ!!』 突然、身をかがめた長身の彼の口元が、気付けば私の耳元に寄っていて、その吐息と呼吸と声とが同時に入り込んできた。反射的に身を震わせると、生理的な涙が溢れかけた。 蓮ニじゃない。 この人は「柳蓮ニ」なんだ。 私が知らないような色気を含んだ彼の大きな手が私の輪郭をそっとなぞる。 ただ触れられているだけなのに、触れるか触れないかという微妙な位置を行き来させる柳の手は、ひどく巧妙だ。 仁王もよく私の頬を撫でたりはするけど、私がそれに慣れているか、といったら別の話だ。いくら触れられても、慣れることの出来ない肌と肌の感触に、必至で目を瞑っていたとき。 「お前は変わった」 『は?』 一番変わったあんたが言うか。 とぼやくと、彼はくすりと微笑んだ。 「ああ、確かに俺は変わった。お前がいつまで経とうと俺のことを幼馴染としか見ず、挙句の果ては俺以外の男に好意など持ち始めたからな」 少し低い柳の声が、再び私の頬をなぞった。 ⇒ 戻る |