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仁王雅治という男は、私が今まで思っていた以上にまめまめしい男だった。第一に、休み時間のたびに私のクラスに訪れる。ただでさえ全校生徒の羨望の的の一人でもある彼がクラスに来ると、それだけで教室がいつも以上に騒がしくなるが、その本人が私に向かって迷う事も無く歩いてきて、甘えるように首筋に顔をうずめるものだから、何人の女子が卒倒したことか。
そのたびに、申し訳ないような気持ちに襲われるこの胸の痛みは、私への罰とでも思っておこう。
しかし、毎時間毎時間来られても少々困る。
私にだって用事があるし、普通のカップルでもそこまで親密に会うことはないと私は思うのだけれども。



「聞こえんのう」

『……は?』

「俺が会いたい時に来とるだけじゃき、お前さんは気にしなさんな」

『移動教室の時まで来られると、私は友達から置いていかれちゃうんだけど』

「俺が送ってくなり」




駄目だ。このペテン師に何を言っても通用しない。
口から出る言葉は、他人から聞こえれば甘い甘い言葉なのかもしれないが、今まで彼と悪友として接してきた私としては、甘い、というか……。



『しつこい』

「おうおう、ひどいなり。彼氏に向かって」

『誰に向かっても私はひどいよ』

「ほう」



何かを企んだように含んだ笑いをこぼした仁王に、まずい、と感じたが遅かった。彼は、身長差のある私の耳元に口を寄せて。



「幸村に対しても、かのう」

『っ!!』



とっさに顔を上げると、そこにあるのは、「仁王雅治」の顔じゃなくて「詐欺師」の顔だった。


『ひどいのはどっちよ』

「汀の怒った顔も俺は好きじゃからのう。たまにはからかってやらんと」



からかう度合いが、あまりにも心臓に悪い。
そう悪態をつきながらも、顔を背けると仁王はすぐさま私の体に抱きついた。まあ、私達は名目上付き合っている。たとえ二ヶ月の限定だとしても、それは変わらないのだ。
だから、抱き合おうと、キスをしようと他人から見れば仲のよいカップルなのだから、恥ずかしがる必要は無いのかもしれない。
だけど、わざとらしく耳元に息を吹きかける仁王は別だ。



「俺が悪かったなり」

『浮気した男の言葉みたい』



ひどいのう。そうこぼした後で、彼は私から体を離し。


「汀」

『何?』



好きじゃ。
そう呟いて、額に唇を落とした仁王は、私を移動先の教室まで送ることなくどこかへ去ってしまった。
正直、仁王が何を考えているのかは未だに分からない。
どうして私と付き合っているのか。
だけど、あくまで仮定だけど。
彼が本当に私のことを好きでいてくれるとする。
そしたら、私と付き合いたいと思うのは普通といったら普通かもしれない。
嗚呼、やだ。
自分で言っていて笑えてくる。
もし、彼が本気だとしたら、私は彼に対して、最悪なことをしている。宙ぶらりんな気持ちを残したままで、仁王を受けいれているのだから。

だけど。
もし、彼が本気だとしたら。
どうして幸村のことを忘れられなくてもいいなどと言うのだろう。
屋上に行くなり、仁王は私に手を伸ばす。昼食時間。
生徒達が教室で優雅に昼食タイムの中で私と仁王は屋上である。



「汀、弁当」

『弁当、じゃなくて。弁当下さい、でしょ』

「弁当欲しいなり」



彼は、ニヒルに笑いながら、私の頭を撫でた。
仁王とお昼を取るようになってから知ったのだが、彼はどうやら昼食をスポーツドリンクや、クラスメイトからもらったチョコレートといった軽いもので済ませていた。馬鹿じゃないの。スポーツ選手なのに、そんな健康管理の状態で、よく王者立海大のテニス部のレギュラーが務まったわね。
そう言った結果がこれだ。
昨日の晩の残りの肉じゃがや、今朝作った卵焼きに、そのついでに炒めた野菜。お決まりのようにご飯の上に梅干。こんな庶民的な弁当で申し訳なかったけど、そんな弁当でも仁王は文句言わず食べる。



『……おいしいの?』

「なんで疑問系なんじゃ?」

『疑問だから』

「おいしいなり」

『……でも、仁王の味覚は、信じられないからなぁ』




そんな悪態をつきながらも、仁王が食べるのをじいと見とく。白髪の青年が私の作った弁当を食べているなんて、本当にシュールというか、なんというか。
ご飯を食べている間、私たちはほとんど無言でもぐもぐ。
クラスメイトの前ではこれでもかというほどベタベタとしてくるくせに、二人きりになると、まるで友人に戻ったようにおとなしくなる。何かをしてきたとしても、私の肩に頭をのせてくるだけだ。
そして、今日もまた彼は、私の弁当を食べた後、気持ちよさそうに目を細めながら、私の肩を枕にしている。

こうやって見ていると、嗚呼、私達って本当に恋人同士なのだろうか、なんてぼんやり思っちゃうけど、時たま彼がその指を私の指に絡めてくるたび、なんだかやるせない気持ちさえある。


『仁王』


もう寝た? と聞けば彼は返事の変わりに指の力を強めた。


『仁王、ごめんね』

「……なん?」

『いいから。……ごめん』



自分でも何に対して言っているのかは分からない。
ただ。仁王を利用しているのは。事実だから。
ごめんとしか呟けない私の指に絡まる手は微かに冷たくて、その指先がせめて私の体温で温まればいいのかもしれない、と私はその指に力を込めた。
まるで、それを合図になるチャイム。それと。


「三年D組、本城汀さんは、生徒会室に来て下さい」

「……呼び出しなり」



少し、くぐもった声で言った仁王に、そうだね、と返す。一体、私に何用だろうか。特に、生徒会に睨まれるようなことはしていないはずなのだけれども。そのまま立ち上がり歩いていこうとした時。


「汀」

『ん?』


振り返ったその私の頬に。
仁王の唇が触れた。


『っ……』

「今日の弁当の御礼なり」



今日の、ということは明日もあるのだろうか。嬉しいかも悲しいかも分からない気持ちを隠すために、「馬鹿雅治」とだけ毒づいて屋上を後にした。それにしても、生徒会室とは。私は風紀違反もしていなければ、執行部でもないのに、わざわざ放送まで入れられるとは何事だろうか。そんなことをぼんやり思いながら歩いて着いた生徒会室。

その扉をノックし、中から聞こえてきた声を合図に扉を開けると。


「早かったな。予想より2分と38秒早かったぞ」

『……柳?』





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