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白い空間が霞んだ。否。私の視界がそうなっているだけで、世界は私なんか知らん顔して平常運転している。朝の早い時間の静寂の中に混じるのは、重いテニスボールの奏音だけで、頬にまた一つ。熱を帯びた泪が伝った。
好きだった。
寝ても覚めても浮かんでしまうあの笑顔が好きだった。
他の人に見せる綺麗でキラキラした笑顔じゃなくて、不意に見せる子供じみた笑みが、特別好きだった。
私だけに見せてくれる素顔の全ては私だけが知っていて、これからもそうなのだと思っていた。
馬鹿だった。
私の傲慢さが積み木となって激しい音を立てて崩れ去ったのは、ほんの10日前だったなんて、ほら、笑い話じゃないか。

嗚呼、私はなんて阿呆な一人芝居を繰り広げてきたのかあいつには絶対分からない。分かられてたまるか。
一人で見る空気の中の風景は、確実に濁っている。自分の弱虫な心臓なんて今すぐ破裂してしまえばいいのに。
彼への想いを募らせてきたこの2年と3ヶ月間。だけど決してそれを他人にバレナイように、ばれない様に、と閉じ込めて。出た結果はこれだ。

彼はついに手の届かない人になってしまった。


「おはよーさん」


あー、もうそんな時間か、とゆるりと体を起こした視線の先に白髪が動いた。
どこか何かを企んだ表情で、ニヒルに笑い、私の頭を柔らに撫でる。大きく、白い手。ぼんやりとしたままでその手を払うと、また口元で笑われた。


『……なんで此処にいんの?』

「ん?まーくんが汀に会いたかったから来たなり」

『あんたはB組。私はD組。はい、お帰り下さい』



冷たく言い放っているのに、全く動く事もなく、その場に座り込んで私の目線に合わせると、口先で。


「俺ら恋人じゃろ?」


騒音が始まる教室で他人に聞こえるか聞こえないかぐらいの声音で言うペテン師の巧妙な手口にとっさに唇を噛んだ。
たったその一言で動けなくなった私は、無駄な抵抗をやめた。
それをいいことに体を抱きこむように手を伸ばされる。

クラスメイトからしてみれば、朝っぱらからいちゃついているカップル、なのかもしれないが、実際は耳先で「好きだ」とか「可愛い」とかではなく、「おはよう」とか「今日の弁当何」とかくだらない事を聞かれる。

それに慣れている理由は、この男、仁王雅治と前から妙に関係が親密だったからなのか、それともこの関係に既に違和感を感じていないからなのか。

どちらにしろ、この男の手を払わない私は。


『最低で……ごめん……ね』


呟く私の体に抱きついたまま、仁王は一言、ええよ。とぼやく。



「俺から言いだしたことに乗っかってくれてるだけでええ」



ああ。止めて。
そんな風に優しくしないで。
私は最低だ。
曖昧な気持ちのまま仁王の想いを受ける私はクズ以下だ。

事の始まりは、そう。
10日前。

弱虫な私の片想いが音をたてて崩れ散った時だ。

私が三年をかけて恋をした彼は、部のマネージャーという役職を持った、特別な相方を得た。
嗚呼、そう言ったらなんだか少し、彼を馬鹿にしているみたいだから、ハッキリ言う。

彼は……。幸村は、彼が誰よりも愛おしいと思っている人と結ばれた。
ある日、幸村から相談があると言われて、舞い上がっていた私の心をいとも簡単にぶち壊したのは「俺、好きな人がいるんだ」の一言。
アドバイスなんて他のきゃぴきゃぴしているアンタのファンに聞きなさいよ馬鹿。
そう思っても口には出せなかった。


『悩むなんてあんたらしくない。好きなら好きって言えばいいでしょ』
 
「お前さ、……本当に女?」
 
『うわ、失礼』

「だって、しゃべり方がなんだか真田と被るよ」

『あーあ、折角彼女の好きなタイプ聞いたのに教えない』

「拗ねるなって。あ、そういえばあいつ昨日さ……」




彼女の事を語る幸村の眼が1mmも私を向いていないのに気付きながらも、相談に乗ってあげた私の決死の演技はアカデミー賞も取れるくらいだったと自負している。
だから、その二日後に見事マネージャーと幸村がくっついたのは、私の応援のおかげと言ってもいい。
だって、彼女が幸村のことを好きだというのは前から知っていたから。
両想いだった、とは……知らなかったけど。

テニス部のマネージャーでもある愛華ちゃんが、もう少し悪い女だったらどれほどに楽だっただろう。彼女は、健気で謙虚で、私が見ても守りたい、と思えるような完璧な女の子だった。
だから、私は演じた。良い仲人を。馬鹿だとは思ったけど、恋のキューピッドとやらをやってのけたのだ。

まるで、ペテン師のように。


「ありがとう、あいつと付き合うことになったよ」


そう告げられた時は辛くて、辛くて。
幸せそうに口付けする幸村と彼女を見ているだけで気が狂いそうで。
おめでとう、と口にして逃げるように屋上へ向かい、一人で声を殺して泣いた。

その私の体を抱きしめてくれたのが。
仁王だった。


『っ、だ、……誰っ』

「二ヶ月」

『に、おう?』


気だるげそうにぼやいたのか、私に伝えたいのか分からないくらいの声。


「2ヶ月……俺のモンになってみん?」



こいつは頭が沸いているのかと思った。
仁王とは一年の頃から何かと親密で、私が幸村を好きだ、というのを何故か知っていて、ちょっかいを出してきていた。
その本人が何を言っている。


『仁王、慰めかた……おかしい』

「慰めるつもりならもっと違う言い方する。……2ヶ月でええ。俺のモンになって?」


ペテン師の考えをする必要もないけど、私はゆっくりと首を横に振った。
駄目だ。
仁王が嘘で言っているのか本心なのかは分からないけど。
仁王は、今まで何度も私のことをからかいながらも支えてきてくれた大切な人だから。
そんな奴を傷つけたくない。
そう、返そうとしたとき。


「別に幸村のことをまだ想っとってもええ」

『っ!?』


呼吸が、小さく、止まりそうだった。


「俺のこと好きじゃなくてもええし。俺と付き合ってくれたらそれだけでええお前さんを責めるつもりはないからのう」

『じゃあ……なんで……?』



なんで、こんな事を言い出すの?
そう聞いたけど彼は答えずにただ一つ。



「……どうじゃ?」



私は、ほぼ反射的に首を縦に振っていた。



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