12

今日。
幸村に私の答えを聞かせる日がもう今日。どうして時が流れるのはこんなにも早いのだろうか。胸が苦しくなる。



「やあ」

『お、おはよう幸村』



そこにはすでに体操服をきて、その上からジャージを羽織っている幸村の姿。今日は、一年に一度の球技大会の日だ。それの準備でもあったのか、それとも単にテニスの練習をしていたのか、彼は薄らに汗をかいていた。



「そんなに警戒しなくてもいいでしょ」

『ご、ごめん……だって』

「まあ、お前はそういうやつだから仕方ないね」




くすりと笑う幸村は私の頭を優しく撫でて「今日の放課後、だからね」と言ってまた自分のクラスに行った。毎朝私に挨拶に来る幸村の姿はみんなも見ているようで「付き合ってるの?」と、この一週間のうちに何回聞かれたことか。そのたびに幸村が「俺の片想い」とか言うものだから、私は完全に悪女だ。
だって、つい最近まで仁王と付き合っているという「嘘」をみんなに見せていたわけだから、それは仕方ないことだろう。

だけど思っていたよりもイジメもないし、嫌がらせもない。……正直もう少し派手にやられるのかと思っていたものだから、少し驚いたのだけど。……蓮ニが言うにはどうやら、幸村のおかげらしいけど。

だけど、この一週間はまるで生きた心地がしなくて、とにかく自分の心の葛藤が酷くて泣きそうで、その度に蓮ニは私の心を読んだように私を慰めてくれた。
蓮ニが微笑む度に、何もできない私を悔やみながらも、耳の奥で響く声はやっぱりもう一つしかない。

だけど。誰も、傷つけない、ためにはどうすればいいのだろう。

刻々と進む時間は私の体内で不規則になって、唇の端から何かが零れてしまいそうなほどにどうしようもない。
どうして今日に限って球技大会なんてものがあるんだろう。
体操服に着替えた私は、バレーボールの選手だったけど、私のクラスはすでに負けてしまってもう暇でしかない。
……たしか去年の球技大会の時は、仁王が屋上に行こうとしてたから、それを止めてなんとか説得して、バスケに出させたんだっけ。



『……懐かし……』



あの頃に戻りたい。
恋人でもなく、他人でもない。
友人だったあの頃が幸せだった。
傷付かなくてよかったし、傷つけなくてよかった。
不意に目で白い髪を探している私。だけど彼がいるはずもなくて。もしかして、愛華ちゃんと一緒にいるかもしれない、とか考えてしまう自分が嫌だ。
もう、私には関係ないのに。

だけど、だけど。
もし、もう一度彼の優しさに触れることが出来るのだとしたら、私は。




「危ないっ!!!!」

『え』




声に反応した時には既に遅く、がつんと後頭部に果てしない衝撃がはしった。一瞬誰かの声が聞こえた気がしたけど、そのまま私は意識を手放した。




「汀」


嗚呼、もしかして私は気絶しちゃったんだろうか。ぼんやりとした意識がだんだんと覚醒していく。
誰かが私の名前を呼んでいる気がして、それがすごく暖かい気がして。
その声が。



『に……お……?』



ふわりと、唇に触れた気がして。
ああ、こんな時に気付いた。
私、いつの間にか仁王が好きになってた。好き。仁王が好きだ。

そして、ゆっくりと目を開けた先には。




「……汀」

『……ゆ、きむら』




幸村が微笑んでいることにどこか安心して、それがさっき名前を呼んだ相手じゃなかった事に、小さく落胆している自分が愚かしい。

幸村は「具合とか悪くない?」とか聞いてきて、それに事務的に答えた後に「一応、頭に当たってるんだから病院は行けよ」と付け足してゆっくり私に覆いかぶさって抱きしめてきた。
保健室でこうやって幸村と対峙するのはあの時以来だ。
あの時はまさか、こんな風に幸村に抱きしめられる日が来るとは思わなかった。

あの時は。




「汀」




あの、時は……。





「仁王が、好きなんだろ?」



とっさに顔を上げると、眉をひそめた幸村と眼が合った。彼は、痛々しい表情で微笑んだままでゆっくりと私の体を離す。




「なんで、とか聞くのはなしね。……俺がいるってのに寝言で、『仁王』って言われたらそりゃ参るよね」

『ち、ちがっ』

「違わない」

『違うっ、私、違うっ、仁王のこと、好きなんかじゃっ』




ない、と言い切る前に、どさりと言う音。じん、とした淡い痛みに付け加え、顔の両側に幸村の手が伸びている。私に覆いかぶさったままで、唇を近づけた幸村は瞳をじい、と私に向ける。



「それじゃあ、俺が何をしようと、いいんだよね」

『……ゆ、』

「俺が今から汀にフレンチキスをして、舌を入り込ませて息を奪い合うくらい口付けして、その後に続く行為をしても仁王を思い出さないんだよね。俺を拒まないんだよね?」




彼は、私の返事を聞く前に私の唇を塞いだ。
そしてそのまま、私の唇をこじ開けた。幸村はさっきまでミント系の飴でも食べていたのか、唇が冷える。すっきりとした口づけなのに、かわされるキスが生々しくて、一瞬で体が硬直した。



『ふ、んんっ、や、っん』



舌で私の歯列をなぞり、逃げようとする私の舌を絡めとる。時折角度を変えて、呼吸まで奪われてしまうんじゃないかと錯覚さえ起きる。
ただ、苦しくて、響く水音と飲み干せない唾液が流れて、拒む度に保健室の簡易ベッドが軋む。

やだ。
いやだ。いやだっ。

ようやく唇が離されたと思えば、次に鎖骨に走る痛み。顔を下げることもなく幸村が何をしているかなんて分かる。



『やっ、だ! 幸村っ、やだっ』




ちくり、と痛み。そして逃げようとする私の両手をシーツの上に縫い付けるように押さえつけた幸村は片手で私の両手を押さえるとそのままカッターシャツのボタンに手をかけた。器用な指先が肌とシャツの間に触れた。
怖くて、何も考えられなくて。
ぎゅう、と目をつぶったときに反射的に。



『や、あぁっ、だっ、におっ、仁王っ!』




そう言ったと自分で自覚した瞬間に、幸村も行為を止めてくれた。



「……あーあ、ほら、俺は今ので完全に嫌われた」

『ゆ、きっ……』

「今そんな声で俺の名前を呼ばないでくれる? ……諦められなくなる」



そう言うと、幸村は優しく優しく私を抱き起こしながら「ごめん。怖かったね」と甘い声で唱えた。
ぼろぼろと涙が止まらなくて、どうすればいいのかさえ分からない私の顔を見ないように、彼は私の肩に顔をうずめた。



「……俺は今年は恋愛運がないみたいだ」

『……ご、め……ん』

「ああ、別に汀は悪くないよ。お前を傷つけたのは俺だし」



だから、良いこと教えてあげる。
その台詞を囁きながら幸村は私の体を優しく離した。苦笑している幸村は痛々しいくらい……綺麗だと思った。



「屋上に行っておいで」

『……おく、じょう』

「そう。俺との待ち合わせの場所じゃなくて、お前は屋上に行くんだ」



そこで、答えを見つけておいで。
幸村は私の体をベッドから起こしながら、私の手を引いて保健室の外へと連れ出す。
エスコートされるがままで、私は歩く。
屋上には仁王がいるはずだ。だから、幸村はこうやって言ってくれたんだ。

だけど、屋上に行ったところでなんになるんだろう。
そこに、他の子と抱き合っている仁王がいたら、それこそ私はどううすればいいんだろう。
そんな顔をしていたのか、不意に幸村の指が頬に触れたことに気付くのに遅れた。




「汀、好きだ」

『幸村っ……私っ』

「お前の傍は、すごく心地よかったし、できるものなら俺のものにしたいよ。でも、嘘はついてほしくない」

『う、そ……?』

「……昔ある男の子が、ある女の子と約束をしたんだって」



物語を語るように幸村は柔らかい声を発する。「その女の子のことをね、彼はとても好きだったんだ。だけどその女の子はある日突然自分に別れを告げてきたんだ。男の子はそれが許せなかった。ずっと一緒にいようと約束をしたのにね」待って。待って。その話は。だんだんと開かれる真実。そして。微笑み。



「だけど男の子は女の子のことが好きだったから。あの時『嘘吐き』と言ったことを酷く後悔したんだ。あの時の子に謝りたい、とね。ずっとそれだけを思っていた」

『ゆ、きむら、それっ』

「だから、君はもう嘘をついちゃいけない」




彼に。嘘をついちゃいけない。
繰返すように言った幸村は、私の背中を押して保健室から一歩を出させた。「さあ、進んで」嗚呼。馬鹿。優しすぎて涙が止まらない。だけど、それ以上に、私は進まないといけないんだ、と思った。

振り返ったら、きっと進めない。
幸村が、かつて大好きだった人が押してくれた背中だから。
私は、進まないと、彼に、仁王に想いを伝えないと、嘘をついちゃいけない。

そのまま、屋上に向かおうとした足。その背中にかかる声。



「ねえ、汀」




声に振り返ろうとしたら、「そのままでいい」と釘をさされた。
そのままで返事をすると、澄んだ声。



「……俺のこと、好き、ってもう一度言ってくれないかな。……自分勝手だって分かってる。でも、……お前の声で、聞きたい」




弱弱しい声。
ずっと、ずっと好きだった人の、声。




『好きだった。すごく、すごく好きだった。幸村がっ……誰よりも、なによりも好きだった』

「……そう」




ありがとう。君に出会えてよかった。
幸村はそれを口にした後に「いっておいで」そう言って、私の背を押す。

もう、何があってもかまわない。
たとえ屋上で仁王が誰といても、何をしていても。

私は、もう迷わない。
もう、逃げない。

私は、仁王雅治が。
好きだ。

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