8 本気になってしまうことに恐れている私がいることを、君は知っているのだろうか。 「汀ちゃん」 『やあ、仁王君』 「……雅治」 『はいはい。なんでしょうか雅治君』 「君は余計じゃ」とか呟きながら、仁王は至極自然に私の体に抱きついてくる。今日もいつもと変わらず屋上に来て、二人で御飯を食べている。 相変わらず仁王も私も必要最低限のこと以外は話さないのだけど、沈黙が心地よく感じている。 幸村のことをさっぱり忘れたわけではないけど、以前に比べて目で追わなくなった。 それは確実に、私が自分で想いを伝えた事もあるけれど……。 「なん?」 『……別に。今日も綺麗な白髪だなあ、と思ってね』 「銀髪なり」 きっと、彼が私のことを抱きしめてくれていたからだ。 最近、少し困っている事がある。 ……いや、自分でも最低だとは思っている。思っているのだけど……もしかすると。 私は、この詐欺師に少しずつ惹かれていっている。……のかもしれない。 自分でも分からない。 仁王は、昔から悪友みたいな存在だったから、今こうやって「お試し」だとしても恋人同士になっていても、実感がない。不意に仁王が口を開いた。 「今日暇?」 『あれ、部活休み?』 「今日はな。家に来ん?」 『いいけど……なんで?』 今まで一度もそんなことを言ってこなかっただけに、さすがにどうしたものかと首をかしげる。 だって、仁王にとってこれは「お試し」であるのだろうから、仁王の家に私が行くなんて、まるで本物の恋人みたいじゃないか。 でも仁王の傍にいるのは嫌いじゃない。むしろ好きだ。仁王の傍にいると、自分を創らなくていいというか……。 ……まあ、そんなことを考えてしまうのは、今日がきっと。 「今日は、一ヶ月記念日なり」 『……へ?』 思わず漏れた声に、反応した仁王が私の唇に一つ口付けを落しながら「ごちそう様」とか言って笑った。 嘘をつく時のその笑い方にあっけにとられたのと、仁王がそんなことを覚えていた事にますますあっけをとられた。 『覚えて……たんだ』 「汀ちゃんは俺の大事な最初の彼女やけんのう」 『嘘吐き。さすが詐欺師』 「コート上の、な」 くつくつと喉の奥で笑う仁王から顔を背けると、彼は何も言わずに私の肩に頭を乗せてきた。 柔らかい毛先が首筋を掠めて、目を細めつつも、上昇する体温が少し奇妙にさえ思えた。 駄目だ。これは、本気の恋にしちゃいけない。 分かっている。 仁王は私のことを慰めるために付き合ってくれているんだから。 だから、本気になっちゃいけないのに。君を本気で好きになっちゃいけないのに。 「な、ええじゃろ? 一ヶ月記念をちゃんと汀と一緒に祝いたいんじゃ」 どうして、君は私の心を奪っていこうとするの? 「俺も行く事にしよう」 『……はい?』 廊下ですれ違った蓮ニが突然私にそんなことを言ってきたものだから、思わず立ち止まる。 相変わらず何を考えているのか分からない表情だけど、いつもに増して黒いオーラが全開なことだけは私にだって理解できた。 嗚呼、あれだ。 小さい頃に、私が蓮ニでも知らない事を知っていたときとかの表情とか、私が他の男の子と遊んでいた時の顔。 「仁王の家に行くのだろう?」 『……仁王に聞いたの?』 「ほう、やはり行くのか」 『……嵌めたでしょっ!』 「俺はただお前の顔に書いてあることを読んだまでだ」 相変わらず顔に出やすいな、とか言いながら頬を撫でてくる蓮ニ。周囲からちくちくと視線を感じたために、その手を軽くつねってやると、彼はますます意地の悪い顔で笑う。 「前にも言ったが、俺は汀を諦める気はないぞ」 『だから、もっと他にもいい子が……』 「お前以外に探せという方が拷問だな」 さらりとそんな言葉を言ってのけた蓮ニは、少しだけ深息をついたかと思えば、小さく眉をひそめた。やめてよ。蓮ニのそんな顔を見たいわけじゃないのに。 そうやって、また私がそんな顔をさせているのかと思うほど、心が痛くなって苦しくなるのに。 「あと一ヶ月辛抱すれば、お前を得ることが出来る確立は上がる。まあ、今無理矢理奪ってしまうのも悪くはないがな」 『……私が、仁王に本気になって、別れないかもよ?』 冗談めいてそう言った時、突然目の前の映像がぐらりと変わって、気付けば蓮ニの胸の中に閉じ込められていた。 嗚呼、遠くで悲鳴がする。 『ちょ、ちょっと、れんっ』 「本気になどならないほうがいい」 『……詐欺師だから?』 「お前が傷付くのが目に見えているからだ」 ……まあ確かに、仁王は女遊びが激しい。 私が初めて仁王と知りあった時だって、彼は女の子をつれていたし、何かあるごとに彼女が変わっていることだって知っている。 『……だけど、本当はいい奴なんだよ? 蓮ニだって知ってるでしょ?』 「だからといって、お前を譲るかと言えば別の話だな」 なんせ、お前は俺の初恋だからな、なんて重大発言までつけた彼のせいで体が思わず跳ねた。 ゆっくりと体を離してくれた蓮ニは、私の頭をゆるりと撫でながらそっと耳元に口をよせた。 「本気になどなるな。お前が傷付くくらいなら、この柳蓮ニ、殺人さえできる」 甘い毒のような台詞をさらりとこぼしたあとで、彼はくつりと笑いした後で、颯爽と歩いていってしまった。 知っている。 仁王に本気になっちゃいけないのなんて私が一番知っている。 そして、私に仁王に本気になる資格がないことだって誰よりも知っている。 だから、仁王を想う度に感じるこの胸の痛みが、せめて彼に恋をしている証拠でないようにと私は祈った。 . 戻る |