01
白馬の王子と花園に眠る姫と、意地悪の仮面を被るだれかの話
倒れたマリアは医務室へ運ばれ、ミホークが斬り飛ばした部屋の壁と傷ついた床は、クルーが修理に当たっていた。
あの後、当然ながらレッド・フォース号の中は大騒ぎになった。それでもさっさとやるべきことが為されたのは赤髪海賊団だからこそであり、シャンクスとベックマンの采配によるものでもあった。
まるで遠いところで起きたことのように、ことは進んだ。
そして今、ミホークはシャンクスとベックマン、船医と共に、医務室にいる。
「…えらく言い辛いんですが、状態としては寝てるだけです」
「……はァ?」
マリアの容態はどうなのかと問うたシャンクスに、船医はややためらいがちに告げたのだが、その内容はシャンクスが思わず素っ頓狂にさえ思える一声をこぼしたとて不思議ではないものだった。
代わってベックマンが冷静に問い返す。
「寝てるだけ…ってなァ、どういうことだ?」
「昏睡といいますか…とても深い眠りについてる状態、ってことです。揺さぶったり、呼んだりしたくらいでは起きないでしょう」
「そんなに…あー、"よく寝てる"のか?」
「ええ。危険なくらいに……その、これは本当に言い辛いんですが……」
船医が言い淀む。
…その場にいる誰もが、黙る理由をおおよそ理解していた。
「このまま生涯、目覚めない可能性があるということか」
シャンクスが、瞠目して言葉を発した本人を見つめる。
壁にもたれ、あの時から一言も話さなかったミホークが、あえて誰も踏み込まなかった場所を示したのだった。
「お前、」
「気遣いは要らぬ。全て話せ」
なにか言いかけたシャンクスを遮り、ミホークは淡々と促した。言外に告げたつもりだ、そんな甘えた仲ではないし、ここで手をこまねいている暇など無いと。
その甘えた―――シャンクスが持つ情の篤さは特筆すべきものであり、そして感謝すべきものでもあると、分かっていても尚。
船医は戸惑い顔でシャンクスとベックマンを見やったが、二人が黙ってうなずくと、静かに語りだした。
「…正直、鷹の目の言う通りです。少し揺さぶったり、声をかけたりもしましたが、まったく起きる気配がありません。…薬はまだ試してませんが、詳しい容体が分からない状態では使えませんし」
「……生きてはいるんだな?」
「はい。生きてはいます、が……眠ったままでは生命維持に支障も出ます。この船の設備だけでは、すぐに間に合わなくなるかと…先ず食事ですが、点滴が必須です。他にもいろいろ…ここには男しかいませんし…」
もっとも急務なのは、設備の整った病院へ移すこと。彼女の脳内で何が起こっているのかを詳しく調べなければ、薬の投与もままならない。
だが薬で起こすことができるかどうかさえも、不明だった。
眠っている原因が分からなければ、何もできないと船医は言った。
「あとは、何とかして目を覚まさせないと……ただ、妙な気がするんです」
「妙?」
「すいません。おれの勘でしかないんですが、これは脳の障害による昏睡というより、人の手によるものじゃないかと」
「意図的に眠らされてるってことか」
「はい。悪魔の実の能力なら眠らせることも可能だと思いますし、それに、彼女は夢を見てるみたいなんですよ」
船医は、ときどきマリアが首や手をうごかしたり、かすかに何かを呟くような動作をするのを、診察する間に見たのだという。昏睡している状態では、外部からの痛みなどには反応するが、自発的な行動は起こらない。
マリアが見ているらしい「夢」と、あのもやのように消えた白い影の男。関わりがあるのは明らかで、悪魔の実と考えるのも必然に近いだろう。
「…マリアを起こすには、あいつを探し出すしかない、か」
シャンクスが低く呟いた。
間違いなく、あの男がすべての鍵を握っているのだ。ミホークかマリアか、あるいはシャンクスか、誰に恨みがあってのことか知らないが、この海の果てまででも追いつめてやるつもりだった。
このタイミングでマリアが目覚めなくなることは、最悪だった。
ミホークにとっても、シャンクスにとっても、そしておそらくマリアにとっても。
そこに、シャンクスは意図的な悪意を感じ取っていた。
何ひとつ証拠はないが、この眠りがミホークとマリアを近づけさせまいとしているように思えたのだ。
同時に募るのは自己嫌悪だった。あのときマリアを部屋に置いていかなければ、自分が一緒にいさえすれば、こんなことにはならなかった。
今更悔いたところでどうしようもない。どうにもならないことをよく分かっていたし、嘆いたところで現状が変わるわけでもないことを理解してはいた。
後悔を口に出さなかったのは、もしかしたらシャンクスよりもずっと深く、マリアを守れなかったことを悔いているだろう男が、そばにいたからだった。
ミホークは感情を表に出したがらず、口数も少ない。だが冷酷ではない。
静かに壁にもたれているその姿。胸の内にどれほどの思いが渦巻いているのかは、計り知れなかった。
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