04






 食堂でつづくどんちゃん騒ぎを、ミホークは遠く聞き流していた。
 最初のほうこそ、調子にのってマリアとの仲を冷やかす者もいたのだが、元々無口なミホークを構うことなど無意味と知らない者がいるわけではない。
 すでに酔いつぶれた輩が出始めた食堂を眺めながら、ミホークは酒瓶を揺らした。
 酒はまったく進んでいない。
 もっともそれに気づいているのは、隣にいるベックマンくらいのものなのだが。

「…飲まねェのか」
「ああ」
「まぁ無理にとは言わねェがな」

 ベックマンが苦笑いし、瓶をぐっと煽る。
 ミホークの視線は、自然に食堂の扉へ向かう。
 シャワーを浴びに行ったマリアは、まだ戻らない。
 そもそも酒盛りに来るのかどうかも怪しいのだが。

「気になるか」
「…何がだ」
「まぁこーんな時から知ってるからなァ、おれたちは」

 返答は無視。ベックマンは、座っていた樽より少し高いくらいの空間を手で撫でるように示す。

「どっかから漂流してきたところを拾ってな。この船で育ったわけじゃねェが」
「……そうか」
「妹だか、娘だか…ま、いい女だろ」

 年齢でいえば娘で間違いないだろう。自分のことは軽く棚上げして、ミホークは思う。
 そしてそんな女に惹かれたのも間違いない話だった。

「鷹の目。この際だからはっきり言っとくが、お前は無口だ」
「改まってそんなことか」
「今更直せとは言わねェが、お前のことだ、必要最低限のことしか喋っちゃいないんだろうな」

 ベックマンはまた瓶をくわえて軽くあおり、ミホークを横目で見やる。

「今のうちだ。口がきけるだけまだいい」
「…どういう意味だ」
「分かってるだろう。あいつは革命に命をかけてる。お前にも、何かしら命をかけるもんがある。暇つぶしでもな。おれたちは、そういうところで生きてる」

 だからあの人は言ったんだろうよ。

 ベックマンが指す「あの人」などただ一人しかおらず、そして何を語ったかに思い至った時、ミホークは中身が減っていない瓶を置いて立ちあがっていた。
 酔って騒ぐ連中の間をすり抜けて、食堂の扉に手をかけたとき、偶然にもそれは外から開かれた。

「うおっと悪ィ…ってお前か、鷹の目」
「マリアはどこだ」

 単刀直入に切り込んだミホークに、シャンクスは一瞬目を見開く。
 だがすぐに口元に不敵にも見える笑みを浮かべて、頭をしゃくって示した。

「ちょうどいい。呼ぼうと思ってたとこだしな」
「…お頭、もういいのか?」

 いつの間にかミホークの後ろに追いついていたベックマンが静かに問うと、シャンクスは軽くうなずいた。
 どうやら最初からベックマンに足止めを食らっていたようだ。ミホークは眉をひそめるが、廊下を歩きだしたシャンクスの後を黙ったままついていく。
 すぐ先には小さい扉があって、その先は浴室に続いている。おそらくその小さい部屋にマリアがいるのだろう。
 廊下の突きあたりには窓があり、なぜか開いたままのそこから吹き抜ける風が、冷たくミホークの頬を撫でていく。

「…鷹の目」
「なんだ」
「あいつを泣かせたらお前を殺す」

 三人の歩みが、止まる。

「……なんつってな。そりゃ、嘘だ」
「……なんの積もりだ、赤髪」
「あーでも、半殺しくらいにゃするかもなァ。少なくとも一発は本気で殴る」
「………」

 停まったままのシャンクスの背中。顔は見えず、冗談めかした台詞の本心がどれほどのものかは分からない。
 だが分からずとも、伝わるものはある。

「あいつの泣いた顔なんて、見たかねェ。それも他の男に泣かされた顔なんざ御免だ」
「そうか」

 停滞の無い返答に、シャンクスが深々とため息を吐き、がしがしと真紅の髪をかきまわす。
 そして、また歩き出そうと一歩を踏み出したとき―――

 また唐突に停止したシャンクスに思わずぶつかりかける。ミホークとベックマンはその訝しく見つめた。

「…今度は何だ」
「おい、ベン、あの窓はずっと開いてたか?」
「窓……?」

 廊下の先にある小さい窓。さっき風が吹き抜けたとき、この荒れた天気の日になぜ開けておくのだろうと、ミホークもわずかだが疑問に感じたものだ。
 ベックマンが、首を横に振る気配がした。

「いや。さっき窓は全部閉めさせた」
「なんで開いてる?」

 ヒュウ、とまた風が吹き込み、シャンクスの赤い髪を揺らして通りすぎていった。
 開いた窓の下は、風と一緒に吹き込んだのだろう、雨で少し濡れている。

「おい―――」
「やめて!」

 シャンクスが後ろを向き直って、ベックマンに何かを言いかけたとき、女の叫び声がそれを上塗りした。
 この船に女といえば一人しかいない、それもたった今会いに行くはずだった者の声だと瞬時に悟り、何が起こったのかを考える前に、勝手にミホークの身体は動いていた。
 シャンクスを押しのけ廊下にあった小さい扉を開け放つ。
 部屋の中に立っていたのは白い影。意識の片隅でそれがマリアではないことを認識した瞬間、すでにミホークの腕は背にある黒刀を抜き振りおろしていた。

「………!!」

 凄まじい轟音と共に、船室の壁の一部が斬り飛ばされて無くなる。間にあったテーブルもすっぱりと斬られ、ミホークの斬撃が明らかな威力を示しているにも関わらず、白い影はもやのように揺らめいているだけだった。
 やがて影がゆらりと動いて、振り向く。それは人の、男の形をしていた。白い服に白い髪。若いその顔はマリアと同い年くらいだろうか。感情の読めないその顔は端正ともいえたが、そんなことはどうでもよかった。
 白いもやが立つ下、床に広がる黒い髪の毛。マリアがそこに倒れていたのだ。

「誰だ!?」

 シャンクスが鋭く問い、同時にベックマンが銃を構える。
 だが男は―――正確には男の姿をした白いもやは、その口元ににやりと笑みを浮かべただけで、まさしく霧のようにすぅっと消え去ってしまった。

「マリア!!」

 最初に名を叫んだのは、シャンクスだった。
 なぜ自分ではないのだろう―――それを心のどこかで後悔しながら、ミホークは力が抜けた、細い体躯を抱き起こした。





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