01



無垢な淡雪が私を侵し、冷徹な月光が私を手招く 其処にあの人は居ますか






 ミホークが帆を立てようとしないことに、マリアもさして反対する気はなかった。すでにこの距離、向こうもおそらく気が付いている。今更遠ざかろうとしたところで、速度も足りないのだから。
 一度ならず、会いたいと思っていた人であるはずだが、マリアの心境は揺らいでいた。
 この状況、ミホークとシャンクス、そしてマリアが一緒にいても、何も良いことは起こらないように思えて仕方がない。
 だいたい今のマリアは、ミホークと恋人とも愛人ともつかない、微妙すぎる関係なのだ。マリアのことを幼い頃から知っているシャンクスが何を言うのか、皆目見当がつかなかった。

 思いあぐねたまま、びしょ濡れの髪や身体を拭く手が止まっていると、ミホークがその身体に厚手のマントをかける。

「あれに乗るまで温かくしていろ」
「……え?」
「乗らぬわけにもいくまい」
「で、でも…」

 たしかに、何も知らないシャンクスなら、マリアもミホークも遠慮なく誘って宴でも開きそうなものである。
 だがマリアは、今更ながらにミホークにその気がなければ何の意味もないことに気がつく。マリアだけ置いて行くことだってできるのだ。
 三人揃ったところで厄介なことになるだけだと、理性では分かっていた。
 それでもようやく近づけそうなのに、と思う気持ちのほうが、はるかに強く心を占めている。

 一緒に、と言いたくても、言えない。

 どうしてこの口は大事なときに何も言おうとしないのだろう。唇を強く噛みしめて、いっそこのまま噛み切ってやろうかなどと思ったとき、ミホークの指が窘めるようにこわばった唇に触れてきた。

「傷がつくだろう。噛むのは止せ」

 やんわりと撫でられて驚いたこともあって、マリアの唇が緩む。と同時に、そっと抱き寄せられて、マリアはミホークの腕と膝にすっぽりおさまって、船に座る形になる。
 タオルとマントにくるまっているとはいえ、濡れそぼっていたマリアの身体は、ミホークは冷たいだろう。

「ミホーク……濡れるから離して」
「いいから大人しくしていろ」

 タオル越しに、ミホークのぬくもりが頬に伝わってくる。優しい温かさは、冷え切っていた身体にも、荒んでいた心にも沁み渡るようだった。



 ***



 レッド・フォース号が棺舟に横づける形で停まるまで、そう時間はかからなかった。

「おーい、鷹の目、いるんだろ?」
「………」

 懐かしい低い声に、マリアは胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。ミホークの声を聞く時とは違う、家族のようなぬくぬくとした温かみ。
 シャンクスの最早確信している呼び声に、ミホークが盛大に嘆息する。無言のまま、彼が帆の中から顔だけ見せると、「やっぱりな、こっち来て一緒に飲まねェか?」と案の定な誘いが降ってくる。

「悪いが今夜は連れがいる」
「連れだァ!?」

 素っ頓狂なシャンクスの声に、レッド・フォース号の上がざわめいた。
 「天変地異の前触れ」なんて言葉まで聞えて、ミホークが眉根を寄せる気配がしたが、無理もなかろうとマリアはひっそり思う。きっと赤髪海賊団の仲間たちも、ミホークが誰かと一緒に舟に乗っているなど見たこともなかったに違いない。

「珍しいこともあるもんだな…まァそいつも連れてくりゃいいさ、これからまだ時化るぜ?」

 そんなことは分かっている、と言いたげな、少し不機嫌そうな吐息。
 そしてミホークは、マリアをマントにくるんだまま抱き上げ、立ちあがる。どうやらこのまま船まで運んでくれるつもりらしかった。
 どうやって縄梯子を上がるのだとマリアは慌てたが、動けば危ないだけだと悟り、大人しくしておくより他はなかった。ミホークは軽々とマリアを片腕で支えて、梯子をあがってしまう。
 そして、甲板につくと、マリアをそこへ立たせてくれた。

「……え、えっと」

 猛烈に視線を感じるものの、誰も何も言わない。
 奇妙で、押しつぶされそうな雰囲気に気圧されて、マリアは必死にどうすべきか頭を巡らせる。マントなどかぶっているから誰もマリアだと気がつかないのかとはたと思いいたって、頭までくるまっていたマントを外した。

「お…お久しぶり、です……」

 つい敬語になってしまったが、戸惑いが消えないのは誰しも同じようだった。
 やはり沈黙―――否、先刻とは多少、雰囲気が異なるか。
 あの"鷹の目"の連れとは何たるものか、という誰何の視線が、不可思議の色に染まっていくような。
 あまりに気まずい空気を破ったのは、シャンクスだった。

「……マリア?」
「えっ! あ、はい…!? そ、その「マリアじゃねェか!! 元気だったか!?」

 しどろもどろになったマリアの言葉を打ちきるかのように、シャンクスが言ったのは久々に会ったマリアを案じる言葉だった。
 その一言をきっかけに、甲板の空気が一変していくのを、マリアは肌で感じ取る。
 顔なじみの乗組員たちが、ためらうことなく近寄ってきて、マリアに口々に声をかけてくれた。―――ベックマンだけは、離れたところから煙草をくゆらせながら、見ているだけだったけれど。
 歩み寄ってきたシャンクスが、くしゃくしゃとマリアの頭をなでる。

「相変わらず…っておい、マリア、濡れてんじゃねェか!!」
「あ…これはちょっと、雨に濡れたの」
「いいから、風呂入れ!! 貸してやるから」
「で、でも荷物を……」

 ミホークの舟にトランクを置き去りにしていたことを思い出して、マリアが振り向くと、ミホークがトランクを甲板に置いたところだった。
 持ってきてくれたのか、とマリアがミホークに礼を言おうとしたとき、やんわり肩をつかまれて、ひょいと方向転換させられる。

「ちょ、ちょっと……」
「早く入ってこい、風邪ひくだろ? 酒ならとっといてやるから」
「そうじゃなくて…!!」

 何だかよく分からないけれど、ミホークと引き離されているような気がする。それくらい、肩にあるシャンクスの右腕は、決して痛みはないにしろ、強いものだった。
 肩越しに振り返ったミホークの表情は傲然としたままのようで―――離れてしまったマリアからは、もうささやかな機微は見てとれなかった。




[ 39/46 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[栞を挟む]
表紙へ



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -