04






 スモーカーがまたたっぷりと煙を吐き出して、新しい葉巻を取り出そうとすると、背後からやんわりと声がかけられた。

「あんさん、申し訳ないですが、ここは禁煙ですわ」
「あ?…ああ、悪い」

 正直、今の心境で禁煙はかなり辛いものがあるのだが、スモーカーは大人しく取り出そうとしていた葉巻を戻す。

「…庭でならいいか?」
「ええ。お庭でなら構いませんけど。でもお仕事がありますんでしょ?」

 念のためと訪ねるスモーカーに宿の主だという女性がにっこり微笑んで言う。
 あの"鷹の目"がいただけあって、ここも一筋縄ではいかないらしい。

「ならちょっと話を聞かせてもらいたい。…別に手荒なまねはしないが」
「分かってますわ。あんさんたちが捕まえて下さった方々のことでしたら、知ってることは何でもお話できますから」

 どうぞこちらへ、と襖の奥へとうながされて、スモーカーはたしぎが持ってきた灰皿に、吸っていた葉巻も押しつけて消した。
 どうやら話を聞くだけでも、縁側ではいけないようだった。



 ***



 抱きあげられたままミホークの舟まで運ばれたマリアは、帽子の中で、どうしたらいいのかも分からなくなっていた。
 スモーカーを出し抜いて、こうして無事にここまで来られたのは一重にミホークのおかげだ。
 結局頼りきりになってしまって、言葉も出なかった。
 頭の中は混乱しきっていて、舟の堅い床にそっと腰を下ろされてなお、顔も上げられずにいた。
 ミホークが帽子を取り上げて、暗かった視界に朝日が戻ってくる。視界が若干ぼやけているのは、眩しすぎるそれのせいだと思い込みたかった。
 うつむいたまま動かないマリアに、ミホークが手を伸ばす。
 スモーカーに向けられていた焼けつくような怒りの感情は、柔らかくマリアの髪をなでるその手つきからはまったく感じ取れなくて、さらに困惑は増すばかり。

「マリア、おれを見ろ」

 声の穏やかさとは裏腹に、内容は地獄の審判にも等しいものだった。
 こんな思いのまま、彼の顔など到底見られるわけがない。
 だがじっと待ってくれているミホークの視線も痛いほどで、マリアはなけなしの意識を総動員して恐る恐る首をあげる。

「………」
「お前は、笑わなくなったな…おれの前では」
「………!?」

 見上げたミホークは、普段の厳しさも、鋭さもない、穏やかな―――しかし悲しげな表情を見せていて、マリアは胸が締め付けられる。
 そんな顔を、しないでほしい。
 しかも原因が自分にあるとなっては、恐怖にも似た悲しい気持ちがせり上がってくる。
 「どうして」も、「ごめんなさい」も、言えば言うほど無意味で空疎に成り下がる気がした。彼が求めているのはこんな言葉ではないのだと、マリアにも嫌というほど感じ取れたのだ。
 かといって、この場で微笑んでみせられるほど器用でもなかった。
 どうしたらいいのだろう、せめてこの人にだけはそんな顔をしてほしくないのに。言葉にならない感情はマリアの手を動かして、彼の頬に伸ばしていた。
 だが触れる寸前、本当にいいのかという警告が、その手を押しとどめようとする。触れるか触れないかのかすかな隙間、それが絶望的な溝に見えてくる。

 ―――触れたい。
 後悔も、懺悔も、迷いもかなぐり捨てて、愛だけでこの人に触れられたらいい。
 離れたくない。

 中断された接吻の直前に自らの心を埋め尽くしていた衝動を思い起こす。
 たった一度でいいから、想いのたけだけを彼にぶつけることを赦してほしかった。
 謝るのはその後だ。

 マリアは、足元に力を入れて起き上がり、ミホークを抱きしめた。


 息をのむ気配を間近で感じ取って、ああもう離れなければと思った瞬間、強く胴に絡む腕に身動きがとれなくなる。
 ぎゅ、と先ほどよりもさらに力がこもった二本の腕。
 あたたかくて、気持ち良くて、驚きや焦りよりも幸せな想いが遥か先へ広がっていくのを止めることができない。

「マリア…っ」

 低い声に応えるように、マリアは広い背中にまわしていた腕に力を込める。

「もうおれから離れていくな」

 抱擁をそのまま言葉にしたかのような、一言。
 今までマリアを縛っていたあらゆる後悔よりも、ずっと熱を持った涙があふれて、頬を濡らした。
 もう何があってもマリアの心はこの人のもので、これからもずっとそれは変わらないだろうと思い知る。

 身体をかき抱いていた腕がわずかに緩むと、マリアが離れようとする間もなく、唇が重なる。
 互いの唇が触れあうだけの接吻。
 濃厚さも何もないはずなのに、今までに受けたどんなキスよりもマリアの意識を引き寄せたまま離さなかった。




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