03






 夜明けの日差しは、アヤメの屋敷にも届こうとしていた。
 薄紫色の空が日の光にさらされて、白く変わり、明るくなっていく。
 ミホークは、ただ黙したまま、縁側からそれを見ていた。

 アヤメが言い出したマリアの「行き先」が、本当にその通りだったことはすぐ知れた。小悪党どもの根城が宙に浮いている様子はここからもよく見えたのだ。マリアの能力について、すでに身を以て説明を受けていたミホークは特に驚くでもなかったが、当然ながら屋敷内は騒然としていた。無理もない。
 しばらく浮いたままだった塔がようやく地面に落ちたのが、つい先ほど。アヤメが軍艦が島についていると報せに来たのと、ほとんど同時だった。
 どうして海軍がこの島へやってきたのかは分からない。マリア自身が何か仕掛けたのか。それともマリアもろとも、この島の悪事を取り払いに来たのか。
 後者であれば、ミホークもまた動くつもりだった。

 そのとき、黒っぽい何かが庭へ飛び下りてきた。身軽に着地したそれの、長い黒髪が優雅に舞う。

「………あ」

 膝を伸ばして見上げてきたのは、驚きで見開かれた青い瞳。
 思わず、かける言葉も思いつかずに見つめ合ってしまった。そういえば互いにこうして見合うのさえ久方ぶりか、ミホークはそんなことをぼんやりと考える。
 先に目をそらしたのは、マリアだった。
 少し居心地悪そうに、顔にかかる黒髪を払って、うつむく。

「……あの、」
「……おい、」

 …言葉を発したのは同時。何か明確に言いたかったわけでもないのだが、相打ちして消えかけた言葉に歯噛みする。
 お互いにまた黙ってしまって、今度は目すら合わない気まずさに、ミホークがため息を吐きそうになったときだった。

「た、……ただい、ま」
「……!!」

 言うべきは本当にこの言葉でいいのか、と迷いに迷った上でようやく発したという混沌とした感情が、うつむき加減のマリアからは明らかすぎるくらいに感じ取れて。そしてぎゅっと握りしめられた両手の指が、許しを得に来たときと同じように、真っ白になっているのを見て。
 ミホークの体は思考を置き去りにして勝手に動いていた。

「あ……!?」
「遅い」
「ご、ごめ……なさ…」

 有無を言わさず歩み寄って抱きしめた。
 夜気にさらされつづけたのだろう、細いマリアの体は冷え切っていて、ずっと頼りなさげに感じた。体温をうつしてやるように、ミホークは抱きしめる腕に力を込める。
 ふ、とマリアの吐息が肌に触れて、早く脈打つ心臓の拍動が伝わってきて、彼女が本当に自分のそばにいるのだと実感する。


 マリアもまた、ミホークの唐突な抱擁に驚きながらも、その大らかな温かさに、どうしようもなく安堵していた。
 あたたかい。心の底からそう感じるのは、きっと自分の体が冷えているからだけではないだろう。
 力強い腕。頬が密着しているたくましい胸板からは、少し早い鼓動が聞き取れて、抱かれているときよりも、さらに近くに彼を感じる。
 呟こうとしたはずの謝罪は途中で消え去ってしまった。
 ミホークが、こんなにも近くにいてくれる……ただそれだけで満たされてしまう。
 帰ってきて良かったと、そう思ってしまう。
 そばにいたいと望んでしまうのだ。

「マリア」
「………!!」

 名前を呼ばれて、我にかえった。その響きは切ないほどで、マリアの心が射抜かれたように跳ねた。
 こんなにも優しく、愛おしげに―――自分の名を読んだ者が今までいただろうか。たった一言、呼ばれただけなのにこんなにも心揺さぶられるなど。
 ミホークの腕の力が緩んで、二人の体が自然に少しだけ離れた。名残惜しささえ感じてしまって、す、と縋るようにマリアの指先がミホークの上着を撫でていく。ミホークはそれを見て目を細めた。
 ミホークの手がそっと首筋をたどってうなじを支え、やんわりと上向かせられる。見上げた先に、ミホークの穏やかな顔がそっと近づいてくる。
 もう互いの理由など―――流れ落ちたそれを手放して、マリアも応えるように目を閉じ、唇の熱い吐息を感じたそのとき、

「……おい! イチャつくなら他所でやれ、"鷹の目"!」

 聞き覚えがないわけでもないハスキーボイスに、思わずそのまま固まった。
 ミホークの背後、つまりアヤメの宿の中から聞えたそれ。誰なのかを声だけでも理解したマリアはさっと青ざめる。
 最悪だ。ミホークとマリア、二人の関係は誰にも―――特に海軍関係者には絶対に知られてはならないことであるのに。
 一方のミホークは、ようやく巡ってきた好機を逃さざるを得なくなって、不愉快を隠すつもりさえなかった。

「…貴様、斬られたいなら後にしろ」
「うるせェ、こちとら重要犯罪人を追ってんだ。てめェも海軍側ならちったぁ真面目にやれ!」

 暴言を言いつつ近づいてこないのは、声の主…スモーカーの最大限の配慮、のつもりなのだろう。スモーカーがこの接吻の意味を知るはずもないのだから、責め立てる理由もない。まるで苛立ちはおさまらないが、アヤメの宿ごと斬り飛ばすわけにもいかない。
 一転して真っ青になっているマリアを見下ろして、ミホークは深々と嘆息した。これでは下手をすればまた元の木阿見か、さらに悪い事態になりかねない。
 マリアはおそらく、どうやってミホークから離れるかを思案しているだろうからだ。
 ようやく―――帰ってきたのだ。他のどこでもない、ミホークのもとへ。
 もう二度と手放したくはない。

 ミホークはかぶっていた黒い帽子を脱いで、マリアの頭へかぶせた。

「!?」
「静かにしていろ」

 密かに囁いて、そのままマリアを抱き上げる。ミホークの黒い帽子は、広いつばでマリアの顔をすっぽりと覆い隠していた。
 マリアを姫抱きにしたまま、ミホークはスモーカーの横を通り過ぎようとする。

「わざわざ見せつけてくれねェでもいいんだが?」
「邪魔をする貴様が悪い。命があるだけありがたいと思え」
「…その女、どっかから攫ってきたんじゃねェだろうな」

 おれたちが探してんのも黒髪だと、スモーカーが抜け目なく言う。ミホークの上着をにぎりしめるマリアの指先に、力がこもった。

「触れれば斬る」
「海軍に盾ついて、お前がどうなるか分かってんのか?」
「おれには関係ない話だ」

 きっぱりと言い放ったミホークに、スモーカーがたっぷりと煙を吐き出す。協力を仰いだところで無駄だと、彼もわかってはいたのだろう。

 そのままミホークは海兵たちの間をも堂々と通り抜けて、宿を出て行った。




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